野生児(読み)やせいじ

改訂新版 世界大百科事典 「野生児」の意味・わかりやすい解説

野生児 (やせいじ)

故意によるものであれ,偶然によるものであれ,人生の早期から相当の期間にわたって人間的な環境を完全に,あるいはほとんど奪われ,野生生活を送った子どものことを野生児feral child(wild child)という。これには,(1)歩行が可能となってから,原野や森に迷い込んだり遺棄されたりした結果,人間との接触なしに自力で野生生活を送った子どもと,(2)幼い時期から動物と野生生活を送った子どもとがある。古くから多くの伝説的逸話があり,またJ.J.ルソーなどの哲学的考察もある。博物学者C.vonリンネが野生人をホモ・サピエンス・フェルスhomo sapience ferusとして生物分類体系の中に位置づけ(1758),その特徴を〈四つ足〉〈啞〉〈多毛〉としたことから,科学的論議の対象となった。以後,野生児は,人間の本性,動物との共通点と相違点,遺伝と環境,子どもの成長と発達などの面から論議されている。共通性の高い特徴として,次のことが指摘できる。(1)音声言語をもっていない。(2)感覚感受性が異常で,鋭敏さと鈍感さが混在する。(3)情緒的発達の著しい遅れ。泣き笑い,涙を流すことがみられないことが多い。羞恥や性的関心を欠く。(4)運動発達が異常で,直立歩行が不可能であったり,歩行動作が奇妙であったりする。(5)対人接触困難性がみられ,自閉的。(6)食事習慣が非人間的。(7)知的発達の遅滞

 最も信頼できる事例は,12歳ごろ南フランスで発見され,医師イタールJean Marc Gaspard Itardによって教育されたアベロンの野生児である。精神遅滞で医療・教育が不可能とされたこの子への6年にわたる指導の精細な記録(1801~1807)によると,同年齢の普通児並みにはならなかったが,感覚機能や社会性がめざましく発達し,知的な面でも基本的概念や文字の学習が成立した。ただし,音声言語の習得はなく,思春期に教育が中断された。この実践は,精神発達遅滞児の教育可能性を立証したものとされている。疑問視されながらも最も著名な事例として,インドのミドナプール孤児院で養育された,狼に育てられたという2少女カマラとアマラの話がある。救出・養育にあたった牧師J.A.L.シングは,1920年の救出当時の年齢をアマラ15歳,カマラ8歳と推定した。アマラは翌年死亡したが,カマラは1929年まで生存した。牧師夫妻の努力は狼的習性をもつ子に,緩慢ながら驚異的な人間的成長をもたらした。シングの養育日誌は後に公刊され(1942)反響を呼んだ。その後の現地調査は,救出の経過に記憶違い,思い違い,誇張がみられるが,大筋はまちがいないものとしている。

 純粋に野生児とはいえないが,無慈悲な親や正気を失った親によって人間的なきずなを断たれ,閉じ込められたり,放置された子も野生児とみなされている。これは,この子らが純粋な野生児たちと同様,隔離環境による影響を受け,野生児化しているからである。代表例として,十数年間の地下室生活を送ったドイツのカスパール・ハウザー,1970年にアメリカのカリフォルニア州で救出された13歳の少女ジェニーがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野生児」の意味・わかりやすい解説

野生児
やせいじ

早期の成長・発達期に親の養育を受けずに、人間社会から隔離された環境のなかで動物とともに生活した子供を総称する。親から遺棄されたり、野獣にさらわれたりして動物たちとともに生活する子供は物語によく登場するが、実際に発見された子供はヨーロッパを中心にして数十例の報告がある。とくに有名な記録は、18世紀末フランス、アベロン地区コーヌの森で発見され教育者イタールにより訓練された11~12歳の少年ビクトールVictor(アベロンの野生児)、20世紀初めにインド、ミドナポルの森でオオカミに育てられたおよそ8歳と2歳の2人の少女(アマラとカマラAmala & Kamala)などの教育訓練・養育の記録で、広く公刊され、学問的にも価値が高い。

 これらの野生児はいずれも発見されたときには言語をもたず、人間としての感情に欠け、野生としての行動が特徴であった。野生児たちの行動や生活の様式は、文明社会に生きる人間とは著しく異なっていたことが記録されている。ビクトールには教育実験ともいうべき訓練がなされたが、その訓練の仮説は、「単に野性的で正常な社会的刺激を奪われているにすぎず、適切な訓練によって人間としての行動や生活の様式が身につけられる」として訓練が開始されたが、目標を達成できず失敗した。アマラとカマラは、食物を直接口で食べたり、四肢で歩いたり、遠吠(とおぼ)えをしたりして、オオカミに類似した行動や生活の様式を変容させることは容易ではなかった。牧師夫人の心血を注いだ養育によって、すこしずつ言語を獲得したが、ついに野性を脱却することができずに成長過程で死亡した。野生児たちの記録からの貴重な示唆は、第一に心身の発達には人間的環境が不可欠であること、第二に心身の発達の適期にふさわしい教育の重要性、第三に発達の適期を逃すと教育が困難になること、などである。

[井田範美・佐藤泰正]

『イタール著、古武弥正訳『アヴェロンの野生児』(1982・福村出版)』『J・A・L・シング著、中野善達・清水和子訳『狼に育てられた子』(1977・福村出版)』『C・マクリーン著、中野善達訳・編『ウルフ・チャイルド――カマラとアマラの物語』(1984・福村出版)』

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百科事典マイペディア 「野生児」の意味・わかりやすい解説

野生児【やせいじ】

偶然の機会に,幼児期に人間社会から隔離され,動物などと生活をともにするなどして成長した子ども。フランスのアベロンの森で発見された19世紀初頭の野生児や,1920年インドで発見されたオオカミ少女など,約30例が知られるが,疑問視されるものも多い。アベロンの野生児は発見されたとき人間らしい発声もなく,記憶・判断・模倣など知的な能力が乏しく,聴・視・嗅などの感覚も通常の人間のそれとは遠く,触覚は物をつかむという機械的な働きに限定されていた。6年間の指導ののち,音声言語は習得できず,同年齢の通常の子どもと同程度ではなかったが,感覚機能や社会性ははなはだしく発達し,文字言語の学習がみられた。野生児の研究は,教育の可能性の裏付けとなるとされた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野生児」の意味・わかりやすい解説

野生児
やせいじ

乳幼児期から,人間の社会からほぼ完全に隔離された状況で成育したヒトのこと。ただひとり森の中で暮していたといわれるアベロンの野生児,オオカミに育てられたとされるインドの2人の少女,幽閉されて人間的接触を絶たれていたカスパー・ハウザーなどが有名。一般に言語を欠き,直立歩行が困難で,ときに種々の感覚が動物的な鋭敏さをもつとされる。

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