改訂新版 世界大百科事典 「金毘羅信仰」の意味・わかりやすい解説
金毘羅信仰 (こんぴらしんこう)
仏教の神に由来する金毘羅神の信仰。一般には,讃岐の金毘羅大権現(香川県琴平町の金刀比羅宮(ことひらぐう))を崇敬する信仰になっている。金毘羅大権現は,金光院松尾寺(真言宗)の伽藍守護の神としてまつられた地主神で,社僧と社職が奉仕したが,1868年の神仏分離で改称した。現在の祭神は,神道説に金毘羅神の垂迹とする大物主命である。古来,頭屋制による古風な祭祀を受けるふもとの村落の鎮守神であるが,江戸初期以後,社寺参りの流行にともない,代参講ができ,小祠が勧請され,全国の信仰を集めた。犬の代参や,酒樽を川に流して拾った船にとどけてもらう流し樽などの特異な風習も生まれた。縁日は,権現の大祭のある10月10日で,この日に金毘羅講の日待を催した村は多い。仏教の金毘羅kumbhīraの原義は鰐魚で,中国では蛟竜とし,金毘羅竜王と称している。金毘羅信仰は,一種の竜神信仰で,船海守護の神,海難を救う神として知られる。奉納された絵馬や霊験譚にも,この方面のものが顕著で,海運にたずさわる塩飽(しわく)諸島の島民の信仰から広まったらしい。瀬戸内海の漁民の信仰も盛んで,〈海上安全,大漁満足〉の大木札を受けて帰るとき,御守授与所の神職の頭をたたいていく,変わった習慣もある。漁村で金毘羅神をまつっているところは,全国に多い。水の神として,火伏せの信仰もある。権現には,金毘羅神の守り札をかざして火を防ぐ火難除けの絵馬や,江戸の町火消しが奉納した灯籠もある。6月10日の厄神送りを,金毘羅さまが病気の治療に四国へ出かけるのを送ったのに由来するという伝えもある。これは夏の疫病を送り出す行事で,悪疫を防ぐ水の神として信仰される祇園の牛頭天王(ごずてんのう)と金毘羅神を同神とする神道説の影響であろう。農村では,豊作を祈願する農神にもなっている。10月10日に,金毘羅講の日待をするのが普通で,村の小祠に幟(のぼり)を立て,神酒などを供えて祝ったりする。権現の4月15日の御田植の神事のとき,周辺の村の人は,神前に供えた籾種をいただき,それを種子の中にまぜてまいて,豊作祈願とする習慣もあり,金毘羅神は,地元でも農神の性格があった。一般に10月10日は,十日夜(とおかんや)といって,稲の収穫を祝う日で,それを金毘羅講に置きかえたものであろう。10月は神無月(かんなづき)で,神々が出雲に集まるが,金毘羅神は大祭があるので行かないという。同じ伝えは各地で聞くが,竜神らしく,蛇体だから行かないともいう。金毘羅神には,魚介類に関する禁忌がある。カニを金毘羅神の使者として,信者は食べないという伝えは広い。カニを水の神の使者とする信仰の変化したものであるが,権現でも,カニを食べたあと50日は参詣してはならないという厳しい規定があった。権現には,ほかにも,川魚は35日,アミは30日といった,一般の神社にはない禁忌があり,金毘羅神の特異性を示している。
執筆者:小島 瓔禮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報