金刀比羅宮(読み)コトヒラグウ

デジタル大辞泉 「金刀比羅宮」の意味・読み・例文・類語

ことひら‐ぐう【金刀比羅宮】

香川県仲多度なかたど琴平ことひら町にある神社。祭神は大物主神を主神とし、崇徳天皇配祀はいし。海上安全の守護神として信仰される。明治初頭までは神仏習合で、象頭山ぞうずさん金毘羅こんぴら大権現と称した。琴平神社。こんぴらさん。

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精選版 日本国語大辞典 「金刀比羅宮」の意味・読み・例文・類語

ことひら‐ぐう【金刀比羅宮】

  1. 香川県仲多度郡琴平町にある神社。旧国幣中社。祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)、崇徳天皇。長保三年(一〇〇一)一条天皇の勅命により藤原実秋が社殿を修築。江戸時代は神仏習合で、象頭山金毘羅大権現(ぞうずさんこんぴらだいごんげん)と称したが、明治初頭に神社となり金刀比羅宮と改めた。航海の守護神として崇敬されるほか、室町時代以降は金毘羅参りが庶民の間に流行した。金毘羅さま。讚岐の金毘羅さん。

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日本歴史地名大系 「金刀比羅宮」の解説

金刀比羅宮
ことひらぐう

[現在地名]琴平町

琴平山(象頭山、五二一メートル)東側の中腹に鎮座する。祭神は大物主命、崇徳上皇を相殿に祀る。旧国幣中社。平田篤胤の「玉襷」に「彼象頭山と云ふは(中略)元は琴平と云ひて、大物主神を祭りしを、仏書の金毘羅神と云ふに形勢感容似たる故に混(淆)して、金毘羅と改めたる由」とあるように、もとは金毘羅大権現と称した。明治元年(一八六八)七月、現社名に改称した。創建年不詳。象頭山金光こんこう松尾まつお寺の住職が代々別当を勤めた。金刀比羅宮所蔵の史料によって、金光院の代々は次のとおりである。

〔金光院別当〕

初代には元徳三年(一三三一)善通寺誕生たんじよう院を中興した大徳宥範僧正があてられているが、金毘羅大権現との関係は不詳である。以後、二代の宥遍までの約二〇〇年間はとくに明らかでない。宥遍は金毘羅大権現の神窟を開き、御入定の神体を拝したために神罰を受けたと伝える。元亀元年(一五七〇)没。三代宥雅は当時那珂なか郡と鵜足うた郡の南部に勢力をもっていた西長尾にしながお(現満濃町)城主長尾大隅守の縁者という。元亀四年松尾寺に金毘羅宝殿を建立。天正七年(一五七九)土佐の長宗我部元親の侵攻に当たって、一山の宝物と記録を携えて泉州さかい(現大阪府堺市)へ落居。その後生駒家に対して、金光院の正当な住職であることを訴えて帰参を願ったが許されなかった。四代宥厳は長宗我部元親の庇護によって住職となったと推定される。天正一二年一〇月に元親が寄進した仁王門の棟札、文禄五年(一五九六)の観音堂鰐口の銘、慶長三年(一五九八)大井おおい八幡宮造立の棟札に名前を残している。同五年没。五代宥盛はのちに金剛坊とよばれる剛毅な僧で、現在象頭山の守護神として奥社に祀られている金刀比羅本教の教祖である。慶長六年に毘沙門荒神こうじん社を建立。同九年に護摩堂本尊を新調。宥盛によって金毘羅大権現の信仰が確立された。同一八年没。

六代宥は慶長一八年に入山。金光院や町方で重立となり、門前町の有力者となる菅納家・木村家・荒川家・小国家などの人々を招いた。初めての山下家出身の金光院別当。正保二年(一六四五)没。七代宥典は正保二年に入山。慶安元年(一六四八)三月、将軍徳川家光から社領三三〇石の朱印状を受ける。高松藩主松平頼重の寄進によって、境内の諸堂の建築と修復が行われた。山麓からの参詣道もほぼ現状に近い状態にまで整備されたという。寛文六年(一六六六)没。八代宥栄は寛文六年に入山。宥の実弟山下盛包の子。

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改訂新版 世界大百科事典 「金刀比羅宮」の意味・わかりやすい解説

金刀比羅宮 (ことひらぐう)

香川県仲多度郡琴平町に鎮座。大物主神に,崇徳天皇を合祀する。創建年は不詳であるが,象頭山金毘羅(ぞうずさんこんぴら)大権現と呼ばれた本社は1001年(長保3)勅命による社殿修築があり,保元の乱で讃岐国へ移された崇徳上皇が参籠したこともあり,古来海上守護,祈雨の神として広い崇敬をあつめ,中世以降全国に勧請された。1868年(明治1)仏教色を一掃して金刀比羅宮と改称。旧国幣中社。例祭10月10日,その10日夜12時より壮麗な渡御があり,前後3日のあいだに金比羅舞などがある。ほかに桜花祭(4月10日),田植祭(4月15日)などの特殊神事,蹴鞠(けまり)が伝承され,伏見天皇御歌集などの宝物,江戸初期の書院など,典型的な門前町とともに,多くの文化財が残されている。
琴平[町] →金毘羅信仰
執筆者:

多くの建築があるが,このうち,表書院,四脚門,奥書院,旭社の4棟が重要文化財に指定されている。現在の表書院は客殿と称され,1654年(承応3)の建立になる入母屋造,檜皮葺き(ひわだぶき),正面に軒唐破風(のきからはふ)を付けた建物で,各室には円山応挙作の障壁画が多数ある。《瀑布及山水図》は1794年(寛政6),《竹林七賢図》《遊虎図》《遊鶴図》は1787年(天明7)の作である。奥書院は単に書院と称され,内向きの館で,1658-61年(万治年間)の建立,1717年(享保2)に大改造を受けている。伊藤若冲,岸岱(がんたい)作の障壁画がある。旭社はもと金毘羅大権現の金堂で,明治時代の神仏分離によって改名した。江戸時代末期の大型の二重仏殿で,初重方五間,上層方三間,後方に祭壇を設けた入母屋造,銅板葺きの建物である。旧金毘羅大芝居(金丸座)は,1835年(天保6)に柿落し(こけらおとし)を行った芝居小屋で,門前の金山寺町にあったが,1975年に街はずれに移築され,現在は琴平町の所有である。この芝居小屋の客席は,1階平場に枡席,両側に桟敷,2階の両側と向いにも桟敷を設ける。舞台はせり付きの回り舞台で,奈落下で人力で回す。江戸末期を代表する現存最古の歌舞伎劇場である。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金刀比羅宮」の意味・わかりやすい解説

金刀比羅宮
ことひらぐう

香川県仲多度(なかたど)郡琴平(ことひら)町に鎮座。一般に「讃岐(さぬき)の金毘羅(こんぴら)さん」とよばれる。大物主(おおものぬし)大神を主神とし、崇徳(すとく)天皇を合祀(ごうし)する。創建年代不詳。1001年(長保3)一条(いちじょう)天皇は藤原実秋(さねあき)に勅し、社殿を修造したが、古くより神仏習合して象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現(だいごんげん)と称した。金毘羅とはサンスクリット語のクンピーラKumbhiraの漢訳語で、インドガンジス川にすむ鰐(わに)を神格化した水神を意味し、これを本社の神と結び付け信仰したのである。崇徳天皇は保元(ほうげん)の乱(1156)ののち当国に配流(はいる)されたとき、当社に参籠(さんろう)して祈願したこともあり、崩御後1165年(永万1)に合祀された。1243年(寛元1)後嵯峨(ごさが)天皇が勅命をもって祭儀を修して以後、朝野の厚い崇敬を受けた。江戸時代には全国的な航路の発展とともに、航海者の信仰を集めて、全国に勧請(かんじょう)され、また金毘羅講が各地におこった。江戸幕府は朱印領330石を寄せ、代々の高松藩主もよく保護した。中世以来、別当職として金光(こんこう)院があたっていたが、1670年(寛文10)以降神職は山内より除き、僧侶(そうりょ)のみで支配した。明治維新後、神仏分離して国幣中社。例祭10月9~11日の金刀比羅祭は「お頭人(とうにん)様」とよばれる大祭。1月、5月、9月の5~7日の本宮にての参籠大神事、4月10日の桜花祭など特殊神事が多い。琴平山(象頭山)一帯にわたる社殿は壮麗。円山応挙(まるやまおうきょ)筆『遊虎(ゆうこ)図』など多くの国の重要文化財がある。1952年(昭和27)宝物館、学芸参考館は博物館に指定された。蹴鞠(けまり)は県無形民俗文化財。

[鎌田純一]

『『金毘羅庶民信仰資料集』全3巻(1982・金刀比羅宮社務所)』


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百科事典マイペディア 「金刀比羅宮」の意味・わかりやすい解説

金刀比羅宮【ことひらぐう】

香川県仲多度郡琴平町象頭(ぞうず)山に鎮座。旧国幣中社。大物主(おおものぬし)命,崇徳(すとく)天皇をまつる。全国に散在する金刀比羅神社(宮),琴平神社等の総本社。社伝によれば,1001年の創建という。古来金毘羅(こんぴら)大権現と称され,江戸時代以来,航海守護・開運の神として信仰され,国内有数の大社となる。例祭(10月9〜11日)は〈こんぴらさん〉〈頭人(とうにん)様〉と呼ばれ,700mに及ぶ神幸行列で有名。表書院・四脚門,紙本著色なよ竹物語絵巻,十一面観音立像などの重要文化財がある。
→関連項目宇多津[町]絵馬香川[県]琴平[町]金比羅瀬戸内海国立公園多度津[町]丸亀[市]円山応挙山本[町]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「金刀比羅宮」の解説

金刀比羅宮
ことひらぐう

琴平社・金毘羅(こんぴら)大権現とも。香川県琴平町に鎮座。旧国幣中社。祭神は大物主(おおものぬし)神。創建は不詳だが,金毘羅は鰐魚の神格化で海神信仰に起源をもつと考えられる。平安後期に社殿修造や祭儀が行われたと伝えるが,元亀4年(1573)の棟札が確実な初見史料。近世になっておおいに信仰を集め,全国の参詣者が集まる四国最大の行楽地となって「こんぴら道」が成立した。1966年(昭和41)金刀比羅本教をおこす。例祭は10月9~11日。特殊神事に潮川神事がある。表書院・奥書院の建造物のほか,「なよ竹物語絵巻」など多くの重文を所蔵。

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旺文社日本史事典 三訂版 「金刀比羅宮」の解説

金刀比羅宮
ことひらぐう

香川県仲多度郡琴平町にある神社。主神は大物主 (おおものぬし) 命で崇徳上皇を合祀
もと金毘羅 (こんぴら) 大権現と称した。「金毘羅」とはインドの海神竜王のこと。古来,漁民・海上の守護神として崇敬され,特に14世紀ころからその信仰も盛んとなり,全国に分社がつくられた。現在は交通安全の神となる。

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デジタル大辞泉プラス 「金刀比羅宮」の解説

金刀比羅宮〔香川県〕

香川県仲多度郡琴平町にある神社。象頭(ぞうず)山中腹に位置する。創建年代不詳。祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)、崇徳天皇。海の神として知られる。旧称、金比羅大権現。俗に「さぬきのこんぴらさん」などとも呼ばれる。客殿の円山応挙作「遊虎図」(重文)など、数多くの文化財を保有。

金刀比羅宮(ことひらぐう)〔東京都〕

東京都港区にある神社。1660年創祀。祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)、崇徳天皇。虎ノ門金刀比羅宮とも呼ばれる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金刀比羅宮」の意味・わかりやすい解説

金刀比羅宮
ことひらぐう

香川県仲多度郡琴平町に鎮座。金毘羅大権現ともいう。元国幣中社。祭神はオオモノヌシノカミ,崇徳天皇。航海業者により崇敬される。例祭 10月9~11日。

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