釜石製鉄所(読み)かまいしせいてつじよ

日本歴史地名大系 「釜石製鉄所」の解説

釜石製鉄所
かまいしせいてつじよ

[現在地名]釜石市鈴子

西に食込む釜石湾奥の西岸に位置する。明治七年(一八七四)二月、工部省工部卿伊藤博文の「陸中国閉伊郡に熔鉱炉を設置」の発議に基づき、同年五月工部省鉱山寮釜石支庁が置かれ、橋野はしの大橋おおはし栗林くりばやし佐比内さひない(現遠野市)の鉱山が官営に移管、翌八年一月工場建設に着手した。工場の設置場所は国の鉱山方係官大島高任大只越おおただこえ(現只越町・大町・港町)案と、ドイツ人技師ルイス・ビャンヒーの鈴子すずこ案の二つがあったが、ビャンヒーの意見が採用された。「管轄地誌」によると鉱山分局鎔鉄場地坪七万四三四坪。工場施設は溶鉱炉から諸機械・赤煉瓦にいたるまですべてイギリスより購入した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「釜石製鉄所」の意味・わかりやすい解説

釜石製鉄所
かまいしせいてつじょ

日本最初の近代的製鉄所。現在の新日鉄住金釜石製鉄所の前身。1857年(安政4)大島高任(たかとう)が日本初の洋式高炉(日産約2トン)の火入れに成功したのに始まる。その後高炉は増設されたが、技術面、経営面での困難により明治初年にはほとんど廃棄された。明治政府は1874年(明治7)に工部省釜石製鉄所を設置して再興を図ったが失敗。田中長兵衛(1834―1901)が払下げを受け、1887年には民営釜石鉱山田中製鉄所として再発足した。やがて全国の銑鉄生産高の過半を占めるに至った。1917年(大正6)に田中鉱山、1924年に釜石鉱山改組改称し、製鉄大合同により1934年(昭和9)日本製鉄に移管された。

[橘川武郎]


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旺文社日本史事典 三訂版 「釜石製鉄所」の解説

釜石製鉄所
かまいしせいてつじょ

明治初期,岩手県釜石市に設立された官営工場
1856年南部藩士大島高任 (たかとう) の開発に始まる。'57年日本最初の洋式高炉を完成し操業開始。明治維新後の'74年,官営工場の釜石製鉄所となる。'87年民間に払い下げられ,その後三井の経営となったが,現在は新日本製鉄の経営。

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世界大百科事典(旧版)内の釜石製鉄所の言及

【岩手[県]】より

… 明治以降,岩手県工業の先駆をなしたのは明治20年代に盛んになった製糸業と,1857年(安政4)南部藩士大島高任によって日本最初の洋式高炉が建設され釜石鉱山の鉄鉱石を原料として開始された製鉄業であった。その後,製糸業が衰退し,釜名鉱山は93年終掘,釜石製鉄所(1970年より新日本製鉄)も相次ぐ合理化によって,往年の活気は失われてきた。県では1955年以来,工場誘致に乗り出し,1995年現在,精密機械,電気機器,輸送用機器,一般機器などの業種が目立っている。…

【釜石[市]】より

…18世紀初め釜石鉱山が発見され,1857年(安政4)南部藩士大島高任(たかとう)が洋式高炉を大橋に建設,日本で最初の近代製鉄法による鉱石精錬に成功し近代製鉄発祥の地となった。1874年官営釜石製鉄所が鈴子(新日鉄釜石製鉄所のある場所)に設けられて以来,製鉄の都市として急速に発展した。さらに三陸沿岸漁業の中心基地となり,市経済は“鉄”と“魚”に依存している。…

【鉄鋼業】より

…操業当初の八幡製鉄所は,高炉の故障等により不振であったが,日露戦争時の拡張を経て生産は軌道に乗り,10年には創業以来初の黒字を計上した。 当時における銑鋼一貫経営は官営の八幡製鉄所のみであったが(釜石製鉄所も1903年に製鋼・圧延生産を開始するが銑鉄生産が主),民間鉄鋼企業も日露戦争を契機として勃興し,第1次大戦前には後の主要製鋼企業が出そろった。住友金属工業の前身である住友鋳鋼場および住友伸銅場の鋼管事業,神戸製鋼所川崎製鉄の前身である川崎造船所兵庫工場,日本製鋼所日本鋼管などである。…

※「釜石製鉄所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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