日本歴史地名大系 「鈍川温泉」の解説
鈍川温泉
にぶかわおんせん
古くは
天平六年(七三四)および同一七年の地震で湯が止まり、それ以降泉量・温度ともに低下したとの伝えがあるが、中近世の記録には出ない。ただ付近は藩主の狩猟場で、薬草園などもあった。村民は渓谷から湯を汲んで帰り、自家の浴用としていたようである。明治六年(一八七三)の「冷硫黄泉広告」によると、明治四年に「旧今治藩知事久松公、世人ノ為多分ノ費ヲ厭ハス、岩石ヲ砕破シ山渓ヲ開拓シ、新ニ浴場ヲ建築シテ(中略)廃藩ノ事アリ因テ余輩之ヲ官ニ請テ、公ノ志ヲ続キ養生処数軒ヲ建」とあり、数年は繁栄したようである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報