日本歴史地名大系 「鉢形城跡」の解説
鉢形城跡
はちがたじようあと
荒川が秩父山地を抜け出た荒川扇状地の扇頂部、荒川右岸の河岸段丘上に築城されていた。段丘崖は岩肌を露出し、比高三〇メートルの急崖をなす。南側は段丘を深く浸食して北流する来万仞欹、三四渡河臨上野、民廬大半棘大籬」と詠じたのはこのときのことである(梅花無尽蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
荒川が秩父山地を抜け出た荒川扇状地の扇頂部、荒川右岸の河岸段丘上に築城されていた。段丘崖は岩肌を露出し、比高三〇メートルの急崖をなす。南側は段丘を深く浸食して北流する来万仞欹、三四渡河臨上野、民廬大半棘大籬」と詠じたのはこのときのことである(梅花無尽蔵)。
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