錦部とも書く。大陸系の技術により錦,綾の織成に従事した大和朝廷の職業部。《日本書紀》仁徳41年条に石川錦織首許呂斯の名が見え,雄略7年条に百済より貢上された今来才伎(いまきのてひと)の内に錦部定安那錦がいる。5世紀中葉以降に百済より順次渡来した技術者を組織したものであろう。部民は主として畿内地方に分布するが,近江,信濃,因幡,美作,阿波,讃岐,豊前等にも存在していた。錦織部全体を統轄する中央の伴造(とものみやつこ)はなく,各地の伴造が統率した。このうち683年(天武12)に造(みやつこ)から連(むらじ)へ改賜姓された伴造は《新撰姓氏録》河内・和泉諸蕃に百済系とみえる錦部連と同系であろう。一方,右京・山城諸蕃にはこれとは別の村主(すぐり)姓をもつ漢(あや)系の伴造をのせているが,これは東漢(やまとのあや)氏の管掌下におかれるようになったものである。このほか,物部氏同族を称する首(おびと)姓伴造が山城神別の内にある。その理由は明らかでないが,物部氏の管掌下に入ったものがあったのであろう。大化改新後も一部は品部として残され,大宝官員令の別記によると錦綾織110戸が織部司に所属している。
執筆者:新井 喜久夫
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錦部とも。大化前代に渡来した錦を織る品部(しなべ)。「日本書紀」雄略7年条の伝承に,百済(くだら)の献上した手末才伎(たなすえのてひと)のなかに新漢(いまきのあや)の錦部(にしごり)定安那錦(じょうあんなこむ)の名がみえる。錦部の工人集団は畿内とその周辺に定住し,錦織首(おびと)や錦織造(みやつこ)に管掌されたらしい。律令時代には錦部を姓とする人々が畿内諸国に多数実在し,錦部郷も河内国を中心に分布。令制の織部司に属する品部として「令集解」にみえる錦綾織110戸は錦部の後身とされる。
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… まず伴として,畿内の中小豪族を任ずる殿部(とのもり)(天皇の乗輿,宮殿の調度,灯火をつかさどる),水部(もいとり)(供御の清水や氷をつかさどる),掃部(かにもり)(殿内の掃除をつかさどる),門部(かどもり∥かどべ)(宮殿の諸門の守衛をつかさどる),蔵部(くらひと)(内蔵,大蔵の出納をつかさどる),物部(もののべ)・佐伯部(さえきべ)(軍事・警察,刑罰をつかさどる)などがあった。部として,畿内やその周辺に居住する帰化氏族,その他を任ずる錦織部(にしこり∥にしごりべ)(絹織物の生産に従う),衣縫部(きぬぬい∥きぬぬいべ)(衣服の縫製に従う),鍛冶部(かぬち∥かぬちべ)(鉄と兵器の生産に従う),陶作部(すえつくり∥すえつくりべ)(陶器の製作に従う),鞍作部(くらつくり∥くらつくりべ)(馬具の製作に従う),馬飼部(うまかい∥うまかいべ)(馬の飼育に従う)などがあった。このように下部組織を形成する伴や部を〈トモ〉ともいい〈ベ〉ともいうのは,百済の官司の諸部の制度を輸入して朝廷の政治組織を革新したとき,朝廷の記録をつかさどっていた百済の帰化人=史部(ふひと∥ふひとべ)が,本国の習慣に従い,漢語の〈部〉とその字音の〈ベ〉を,日本の〈伴〉の制度に適用したために生じたとみるのが正しいであろう。…
※「錦織部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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