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漢氏 あやうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

漢氏
あやうじ

古代の渡来人系の。『日本書紀』の伝承では,応神朝に来朝した後漢(→)の霊帝の子孫と称する阿知使主の子孫で,一族は大和国高市郡(たけちのこおり)に住み,大いに栄えた。織物の技術に優れていたことから,雄略朝のとき漢直(あやのあたい)のを賜ったという。その後一族は東漢(やまとのあや。→東漢直)と西漢(かわちのあや)に分裂し,それぞれ大和国,河内国に住んだ。織工,文筆などで活躍して蘇我氏に用いられ,その勢力の一端を担うようになった。蘇我馬子にそそのかされて崇峻天皇を殺害した東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)などもこの出である。天武朝には飛鳥一帯に勢力を張り,平安時代には坂上田村麻呂が出た。

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百科事典マイペディアの解説

漢氏【あやうじ】

秦(はた)氏と並ぶ古代渡来人系の氏族。漢の王室の子孫の阿知使主(あちのおみ)が応神天皇のとき渡来したという伝説があるが,朝鮮半島楽浪(らくろう)郡の漢人の子孫が5世紀初めごろ渡来したものらしい。
→関連項目渡来人東漢氏

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世界大百科事典 第2版の解説

あやうじ【漢氏】

日本古代に朝鮮半島から渡来したもっとも古い中国系の帰化氏族。後漢霊帝の子孫といい,秦始皇帝の裔という秦氏(はたうじ)とならび称せられる。東漢(倭漢)(やまとのあや)と西漢(河内漢)(かわちのあや)の両系にわかれ,その後に渡来した今来漢人(新漢人)(いまきのあやひと)を加え,巨大な氏族として存続した。東漢は,大和国高市郡を中心に勢力をひろげ,7世紀までに,坂上・書(ふみ)・民・池辺・荒田井など多くの直(あたい)姓氏族にわかれ,天武天皇八色の姓(やくさのかばね)において忌寸(いみき)姓に改められ,8~9世紀には,坂上氏を中心に政界に地歩を占め,宿禰(すくね)・大宿禰を賜る氏もあらわれた。

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大辞林 第三版の解説

あやうじ【漢氏】

古代の有力渡来氏族。応神朝に来朝した阿知使主あちのおみの子孫で、後漢の霊帝の子孫と称する東漢直やまとのあやのあたえと後漢の献帝の子孫と称する西漢直かわちのあやのあたえとがあった。綾織りをはじめ、高度の諸技術をもって大和朝廷に仕えた。初め直あたえ姓、のちに連むらじ姓・忌寸いみき姓を賜り、六~七世紀には政治・軍事面でも活躍した。坂上田村麻呂らはこの一族である。あや。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

漢氏
あやうじ

古代において活躍した渡来人の豪族。応神(おうじん)朝に帰化したと伝える中国、後漢(ごかん)霊帝の曽孫(そうそん)、阿知使主(あちのおみ)の後裔(こうえい)と伝えられる。初め大和(やまと)の檜隈野(ひのくまの)(奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村)に居住し、雄略(ゆうりゃく)天皇16年に漢部(あやべ)を集めて、その伴造(とものみやつこ)になり直(あたい)の姓(かばね)を賜ったという。東漢(やまとのあや)氏と西漢(かわちのあや)氏があるが、東漢氏は多数の氏に分かれて発展し、財力と武力を得て秦(はた)氏と並ぶ帰化系の有力豪族となった。これに対して西漢氏は、あまり振るわなかった。[志田諄一]

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世界大百科事典内の漢氏の言及

【加羅】より

…また,加羅諸国には異形土器が発達し,鴨形,舟形,車形,家形などの各種の象形土器があり,とくに高床家屋をあらわす家形土器は,この地方の基層文化が南方アジアにつながることを示している。この時期の加羅諸国の新文物・新知識を持って,日本に渡航する人々が多かったが,出身地を安羅とする漢氏(あやうじ)と,金海加羅を出身地とする秦氏(はたうじ)とが,大和朝廷と関係をもったため,その代表的氏族とみなされた。
[6世紀]
 5世紀末から武力をともなった百済の勢力が,加羅諸国に侵入してきた。…

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