漢氏
あやうじ
古代において活躍した渡来人の豪族。応神(おうじん)朝に帰化したと伝える中国、後漢(ごかん)霊帝の曽孫(そうそん)、阿知使主(あちのおみ)の後裔(こうえい)と伝えられる。初め大和(やまと)の檜隈野(ひのくまの)(奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村)に居住し、雄略(ゆうりゃく)天皇16年に漢部(あやべ)を集めて、その伴造(とものみやつこ)になり直(あたい)の姓(かばね)を賜ったという。東漢(やまとのあや)氏と西漢(かわちのあや)氏があるが、東漢氏は多数の氏に分かれて発展し、財力と武力を得て秦(はた)氏と並ぶ帰化系の有力豪族となった。これに対して西漢氏は、あまり振るわなかった。
[志田諄一]
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漢氏
あやうじ
古代の渡来人系の氏。『日本書紀』の伝承では,応神朝に来朝した後漢(→漢)の霊帝の子孫と称する阿知使主の子孫で,一族は大和国高市郡(たけちのこおり)に住み,大いに栄えた。織物の技術に優れていたことから,雄略朝のとき漢直(あやのあたい)の姓を賜ったという。その後一族は東漢(やまとのあや。→東漢直)と西漢(かわちのあや)に分裂し,それぞれ大和国,河内国に住んだ。織工,文筆などで活躍して蘇我氏に用いられ,その勢力の一端を担うようになった。蘇我馬子にそそのかされて崇峻天皇を殺害した東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)などもこの出である。天武朝には飛鳥一帯に勢力を張り,平安時代には坂上田村麻呂が出た。
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あや‐うじ ‥うぢ【漢氏】
〘名〙 古く日本に渡来した漢民族の子孫と称する集団の総称。東漢氏
(やまとのあやうじ)と西漢氏
(かわちのあやうじ)の二族があるが、西漢氏は早く衰退した。東漢氏は
応神天皇二〇年に、阿直使主
(あちのおみ)、
都加使主(つかのおみ)父子が一七県の党類を率いて渡来したのに始まるといわれ、経済力、武力にすぐれていた。雄略天皇から直
(あたえ)の姓
(かばね)を与えられ、文筆、外交、財務などの分野に大きな役割を果たした。天武天皇一三年(
六八四)の八色姓
(やくさのかばね)の制では忌寸
(いみき)姓を与えられている。あや。→
漢部(あやべ)・
漢人(あやひと)
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漢氏【あやうじ】
秦(はた)氏と並ぶ古代渡来人系の氏族。漢の王室の子孫の阿知使主(あちのおみ)が応神天皇のとき渡来したという伝説があるが,朝鮮半島の楽浪(らくろう)郡の漢人の子孫が5世紀初めごろ渡来したものらしい。大和にいたものを東漢(やまとのあや)氏,河内のを西漢(かわちのあや)氏といい,直(あたい)の姓(かばね)をもつ。工芸,文筆などで朝廷に仕えて,蘇我氏の下で活躍。天武朝に連(むらじ),次いで忌寸(いみき)となった。7世紀ごろから坂上(さかのうえ),文(あや)など多数の氏に分かれた。
→関連項目渡来人|東漢氏
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漢氏
あやうじ
古代の代表的な渡来人系豪族
東漢氏 (やまとのあやうじ) ・西文氏 (かわちのあやうじ) があり,前者の祖は阿知使主 (あちのおみ) と伝える。実際は楽浪・帯方郡から5世紀ごろに渡来したとみられ,文筆をもって政権に仕えた。東漢氏と西文氏とは直接関係はなく,西文氏の勢力は小さかった。
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あやうじ【漢氏】
日本古代に朝鮮半島から渡来したもっとも古い中国系の帰化氏族。後漢霊帝の子孫といい,秦始皇帝の裔という秦氏(はたうじ)とならび称せられる。東漢(倭漢)(やまとのあや)と西漢(河内漢)(かわちのあや)の両系にわかれ,その後に渡来した今来漢人(新漢人)(いまきのあやひと)を加え,巨大な氏族として存続した。東漢は,大和国高市郡を中心に勢力をひろげ,7世紀までに,坂上・書(ふみ)・民・池辺・荒田井など多くの直(あたい)姓氏族にわかれ,天武天皇の八色の姓(やくさのかばね)において忌寸(いみき)姓に改められ,8~9世紀には,坂上氏を中心に政界に地歩を占め,宿禰(すくね)・大宿禰を賜る氏もあらわれた。
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世界大百科事典内の漢氏の言及
【加羅】より
…また,加羅諸国には異形土器が発達し,鴨形,舟形,車形,家形などの各種の象形土器があり,とくに高床家屋をあらわす家形土器は,この地方の基層文化が南方アジアにつながることを示している。この時期の加羅諸国の新文物・新知識を持って,日本に渡航する人々が多かったが,出身地を安羅とする漢氏(あやうじ)と,金海加羅を出身地とする秦氏(はたうじ)とが,大和朝廷と関係をもったため,その代表的氏族とみなされた。
[6世紀]
5世紀末から武力をともなった百済の勢力が,加羅諸国に侵入してきた。…
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