漢氏(読み)アヤウジ

デジタル大辞泉 「漢氏」の意味・読み・例文・類語

あや‐うじ〔‐うぢ〕【漢氏】

古代中国から渡来した氏族東漢氏やまとのあやうじ西漢氏かわちのあやうじがある。かばねあたえであったが、のちむらじとなる。あや。

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精選版 日本国語大辞典 「漢氏」の意味・読み・例文・類語

あや‐うじ‥うぢ【漢氏】

  1. 〘 名詞 〙 古く日本に渡来した漢民族子孫と称する集団の総称。東漢氏(やまとのあやうじ)と西漢氏(かわちのあやうじ)の二族があるが、西漢氏は早く衰退した。東漢氏は応神天皇二〇年に、阿直使主(あちのおみ)都加使主(つかのおみ)父子が一七県の党類を率いて渡来したのに始まるといわれ、経済力、武力にすぐれていた。雄略天皇から直(あたえ)の姓(かばね)を与えられ、文筆、外交、財務などの分野に大きな役割を果たした。天武天皇一三年(六八四)の八色姓(やくさのかばね)の制では忌寸(いみき)姓を与えられている。あや。→漢部(あやべ)漢人(あやひと)

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改訂新版 世界大百科事典 「漢氏」の意味・わかりやすい解説

漢氏 (あやうじ)

日本古代に朝鮮半島から渡来したもっとも古い中国系の帰化氏族。後漢霊帝の子孫といい,秦始皇帝の裔という秦氏(はたうじ)とならび称せられる。東漢(倭漢)(やまとのあや)と西漢(河内漢)(かわちのあや)の両系に分かれ,その後に渡来した今来漢人新漢人)(いまきのあやひと)を加え,巨大な氏族として存続した。東漢は,大和高市郡を中心に勢力をひろげ,7世紀までに,坂上・書(ふみ)・民・池辺・荒田井など多くの直(あたい)姓氏族に分かれ,天武天皇の八色の姓(やくさのかばね)において忌寸(いみき)姓に改められ,8~9世紀には,坂上氏を中心に政界地歩を占め,宿禰(すくね)・大宿禰を賜る氏もあらわれた。彼らは政界だけでなく,在地でも檜前忌寸(ひのくまのいみき)と総称され,檜前寺を氏寺とし,高市郡の郡司を歴任するなど勢力を保った。西漢は,河内国丹比・古市2郡を中心に,近接して居住し,文・武生・蔵の首(おびと)姓,船・白猪(しらい)・津の史(ふひと)姓などの各氏に分かれたが,東漢ほどの勢力はなく,八色の姓でも,忌寸をあたえられたのは文(書)首など少数にとどまった。しかし,8~9世紀に津氏が菅野朝臣(あそん)を賜り,政界で活躍し,また在地では,西琳寺(さいりんじ),葛井寺(ふじいでら),野中寺(やちゆうじ)などの氏寺を経営した。
東漢氏
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「漢氏」の意味・わかりやすい解説

漢氏
あやうじ

古代の渡来人系の。『日本書紀』の伝承では,応神朝に来朝した後漢(→)の霊帝の子孫と称する阿知使主の子孫で,一族は大和国高市郡(たけちのこおり)に住み,大いに栄えた。織物の技術に優れていたことから,雄略朝のとき漢直(あやのあたい)のを賜ったという。その後一族は東漢(やまとのあや。→東漢直)と西漢(かわちのあや)に分裂し,それぞれ大和国,河内国に住んだ。織工,文筆などで活躍して蘇我氏に用いられ,その勢力の一端を担うようになった。蘇我馬子にそそのかされて崇峻天皇を殺害した東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)などもこの出である。天武朝には飛鳥一帯に勢力を張り,平安時代には坂上田村麻呂が出た。

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百科事典マイペディア 「漢氏」の意味・わかりやすい解説

漢氏【あやうじ】

秦(はた)氏と並ぶ古代渡来人系の氏族。漢の王室の子孫の阿知使主(あちのおみ)が応神天皇のとき渡来したという伝説があるが,朝鮮半島の楽浪(らくろう)郡の漢人の子孫が5世紀初めごろ渡来したものらしい。大和にいたものを東漢(やまとのあや)氏,河内のを西漢(かわちのあや)氏といい,直(あたい)の姓(かばね)をもつ。工芸,文筆などで朝廷に仕えて,蘇我氏の下で活躍。天武朝に連(むらじ),次いで忌寸(いみき)となった。7世紀ごろから坂上(さかのうえ),文(あや)など多数の氏に分かれた。
→関連項目渡来人東漢氏

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「漢氏」の解説

漢氏
あやうじ

渡来系の氏族。東(やまと)漢氏と西(かわち)漢氏の両系があり,両者の間に同族関係はないと考えられる。東(倭)漢氏は阿知使主(あちのおみ)を祖とする有力氏族で,後漢の霊帝の後裔というが,朝鮮半島系とみる説もある。大和国高市郡檜前(ひのくま)を本拠に,新たに渡来した技術者(漢人(あやひと))や部民(漢部(あやべ))などを統率する地位を得て発展。7世紀頃までに書(ふみ)(文)・坂上(さかのうえ)・民などの枝氏に分裂。姓ははじめ直(あたい)。枝氏も一括して682年(天武11)に連(むらじ),ついで685年に忌寸(いみき)に改姓。西(河内)漢氏は中国系という渡来系氏族。大和国を本拠とした東漢氏に対し,河内地方を本拠に同地の漢人・漢部らを統率したか。東漢氏にくらべ氏勢はあまりふるわない。はじめ直,683年に連,685年に忌寸に改姓。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「漢氏」の意味・わかりやすい解説

漢氏
あやうじ

古代において活躍した渡来人の豪族。応神(おうじん)朝に帰化したと伝える中国、後漢(ごかん)霊帝の曽孫(そうそん)、阿知使主(あちのおみ)の後裔(こうえい)と伝えられる。初め大和(やまと)の檜隈野(ひのくまの)(奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村)に居住し、雄略(ゆうりゃく)天皇16年に漢部(あやべ)を集めて、その伴造(とものみやつこ)になり直(あたい)の姓(かばね)を賜ったという。東漢(やまとのあや)氏と西漢(かわちのあや)氏があるが、東漢氏は多数の氏に分かれて発展し、財力と武力を得て秦(はた)氏と並ぶ帰化系の有力豪族となった。これに対して西漢氏は、あまり振るわなかった。

[志田諄一]

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旺文社日本史事典 三訂版 「漢氏」の解説

漢氏
あやうじ

古代の代表的な渡来人系豪族
東漢氏 (やまとのあやうじ) ・西文氏 (かわちのあやうじ) があり,前者の祖は阿知使主 (あちのおみ) と伝える。実際は楽浪・帯方郡から5世紀ごろに渡来したとみられ,文筆をもって政権に仕えた。東漢氏と西文氏とは直接関係はなく,西文氏の勢力は小さかった。

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世界大百科事典(旧版)内の漢氏の言及

【加羅】より

…また,加羅諸国には異形土器が発達し,鴨形,舟形,車形,家形などの各種の象形土器があり,とくに高床家屋をあらわす家形土器は,この地方の基層文化が南方アジアにつながることを示している。この時期の加羅諸国の新文物・新知識を持って,日本に渡航する人々が多かったが,出身地を安羅とする漢氏(あやうじ)と,金海加羅を出身地とする秦氏(はたうじ)とが,大和朝廷と関係をもったため,その代表的氏族とみなされた。
[6世紀]
 5世紀末から武力をともなった百済の勢力が,加羅諸国に侵入してきた。…

※「漢氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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