狂言の曲名。女狂言。夫の太郎が怠けて山へまきを取りに行かないので,妻は怒って,鎌を結びつけた棒をふりあげて追い回す。仲裁人が入って,太郎に棒と鎌を持たせ,妻を連れて立ち去る。ひとり残った太郎は,女に侮辱されるより死んだほうがよいと,鎌をふりあげて腹へ突き刺そうとするなど自殺を試みるが,気がおくして死にきれない。結局,自殺は断念して山へ行くことにするが,結末の筋は流派により異なる。大蔵流では,夫のうわさを聞いた妻が止めに来てわびるので,太郎が臆病ゆえに死ねなかった心の内を明かすと,妻は再び怒って夫を追い込む。和泉流では,自殺をあきらめるところで謡ガカリとなり,通りかかった顔見知りの小娘(舞台には登場しない)に妻への伝言を頼んで山へ出かけてゆく。大蔵流にも古くは夫婦和解で終わる演出もあった。夫婦の葛藤と情愛の機微,男の虚栄心と生への執着を風刺的に描いた写実的な狂言で,シテの独演的要素が強い。
執筆者:羽田 昶
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
狂言の曲名。女狂言。玄関を蹴(け)破って突然、夫婦喧嘩(げんか)が往来に飛び出したような勢いで、鎌(かま)を結び付けた棒を振り上げた妻に太郎(シテ)が追われて出てくる。仲裁人がわけを聞くと、夫がちっとも仕事をせず、今日も山へ薪(まき)をとりに行かないからだという。仲裁人のとりなしで太郎はしぶしぶ山に向かうが、そんな自分にほとほと嫌気がさし、女房への面当てにいっそ死んでやろうと、鎌で百姓らしい死に方をいろいろくふうする。が、生来の臆病(おくびょう)が顔を出し、なかなか死にきれない。聞きつけた妻が駆けつけ、「あなたが死んだら私も生きてはいない」と思いとどまるようにかきくどく。そのことばを聞いた太郎は一転「自分が死んだあとに死ぬ覚悟があるなら、いまここで自分の名代(みょうだい)に死んでくれぬか」といいだし、怒った妻にまたまた追われて退場。和泉(いずみ)流では、気を取り直し、通りがかりの者に洗足の湯を沸かしておくよう妻への伝言を頼み山に向かう。わわしい妻に働け働けと追いまくられる夫、死のうとして死にきれぬ男の生への執着、笑いの奥に男のペーソスが漂う。
[油谷光雄]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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