化粧用具の一つである鏡を懸架するための台。板ガラスに水銀膜をほどこした現在の鏡体の場合は,その縁枠を化粧用具を納めるための抽斗(ひきだし)を設けた台箱上の2本の架木に留金具でとりつけ,鏡と台が一体化した形式のものを文字どおり鏡台と称する。しかし鉄鏡や白銅鏡など金属鏡の時代には,鏡体は通常,唐綾の入帷(いれかたびら)に包んで鏡箱(きようばこ)に納置し,必要に応じて鏡台にかけて使用するのが建前であった。したがって鏡台は,鏡体に付随する用途を有するものであるが,一方ではそれ自体に調度的な性格も備えており,そのため形状を吟味し,さまざまな装飾をほどこした機能美豊かな意匠のものが考案された。
日本においては747年(天平19)に勘録された《大安寺伽藍縁起幷流記資財帳》に〈鏡台肆足〉あるいは〈鏡懸糸壱拾参条〉などとあり,文献的にはこのころすでに鏡台の使用されていたことが確認されるが,実体はなおつまびらかでない。鏡台の形状が知られるようになるのは平安時代の末からで,1130年(大治5)2月21日中宮立后の際に調進された鏡台の指図を載せる《類聚雑要抄》がその最初の史料である。この鏡台は頂上に宝珠をとりつけた柱に鏡をかける蕨手(わらびて)形の鉤(かぎ)があり,折りたたみ式に調節できる鷺脚(さぎあし)状の五脚を伴う。これに鏡をかける場合は,大小2枚の羅紐(むなひも)をかけ,その上に入帷をおき,さらに鏡枕をかけたのち鏡背の鈕(ちゆう)を結んだ緒をかける。羅紐は鏡の緒を結びとめるためのもので,柱の中央でくくり,その先を左右にふりわける。また鏡枕は紐をつけた筒形で,柱にかけて傾斜をつけ,姿を写しやすい角度にする。《和名抄》に〈鏡台 和名加々見加介〉とあるのも,おそらくはこの形式のものであろう。この種の鏡台はちょうど立木を地面から引き抜いたような形姿を示すところから〈根古志形(ねこじがた)〉とも称されるが,また脚数の多いところから蛸(たこ)鏡台の別名がある。根古志形鏡台の遺品では,1179年(治承3)の高倉天皇行幸の際に奉納されたと伝承される春日大社古神宝類中の黒漆塗平文(ひようもん)鏡台が古い。類品は1309年(延慶2)に制作された《春日権現験記》にも描かれていて,宮中公家の生活の中に長く用いられているようすがうかがわれ,熱田神宮にも鎌倉時代末ころの遺品が伝わり,その流行のさまがしのばれる。
室町時代以降の鏡台の特色は,根古志形のような古式鏡台に,化粧道具入れである手箱の形式が組み合わされたことである。天正16年(1588)銘の鏡と一具をなして伝わる菊紋蒔絵鏡台(東京国立博物館)は,鏡をかける柱部の形状は古式鏡台のそれを踏襲するが,脚のかわりに化粧道具入れの抽斗付き方形台箱を備えているところが新様である。一方,抽斗付き台箱の上に鉤手をとりつけた2本の柱をたて,その上に蕨手先屋根形の架木を渡して安定を図った鏡台がみられるようになるのもこのころである。足利義政像と伝える室町時代の肖像画に描かれた巴文蒔絵鏡台がこの先例で,以後幕末に至るまでこの形式のものが鏡台の主流をなした。遺品では桃山時代の作に比定される香具山蒔絵鏡台(東京国立博物館),徳川家光の長女千代姫の婚礼調度として1637年(寛永14)幸阿弥長重が調進した初音蒔絵鏡台(徳川美術館)がその典型を示す事例である。なお台箱を備えず,鏡をかける枠木に支木をとりつけた簡便な形式の鏡掛(かがみかけ)も,江戸時代には多用された。紀州徳川家の豊姫婚礼調度の一つとされる竹文蒔絵鏡掛(東京国立博物館)はその佳品である。
→鏡
執筆者:河田 貞
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鏡をかける台、または鏡立(かがみた)てのこと。鏡台ということばは中国語で、大和(やまと)ことばは「かがみかけ」「かがみたて」である。鏡台の形がわかるのは平安時代のものからで、当時の鏡は根古志(ねこじ)形とよばれるもので、これは立ち木を根元から引き抜いた形を模したものである。上代に祭祀(さいし)、呪術(じゅじゅつ)のため榊(さかき)を根こじにしてその枝に鏡をかけたものがもとになっている。1本の柱の下に足がつき、足は5枚の鷺足(さぎあし)が二重になっている。柱の上方に鏡をかける蕨(わらび)形の支え手があり、ここに八稜(はちりょう)鏡をかける。全高およそ70~80センチメートル。黒漆塗りなどが施されており、南北朝あたりまで使われていたようである。室町時代になると櫛(くし)や化粧道具を入れるための抽斗(ひきだし)といっしょになった鏡台が生まれる。抽斗箱を台とし上に鳥居形の鏡かけがついたもので、蒔絵(まきえ)などが施されて美しくつくられているが、これにかける鏡は小形であるため、このほかに大形鏡をかける専用の折り畳み式鏡かけも使われた。この二つの形式の鏡台はそのまま近世の貴族調度として引き続き用いられたが、一方、江戸時代になると、抽斗箱の蓋(ふた)を開けて、ここに鏡立てを差し込んで組み立てる簡単な鏡台がつくられて一般大衆に用いられた。明治に入ると、鏡も金属鏡からガラス鏡に、形も円形から方形にかわった。代表的な形式は、抽斗の上に鏡立てを取り付けたもので、室町時代の鏡に似ているが、鏡立ては2本の支柱と鏡がねじで回転し角度を変えられるようになっており、台の抽斗も漆塗りでなく、クワ、ケヤキ、トチ、黒柿(くろがき)などの木地造りになっている。大正に入るとこれがさらに発展し、上部の鏡が70~80センチメートルの縦長形となり、台も平山、片山、両山と各種つくられ、使いやすいものとなった。これは姿見ともよばれ、これが大正、昭和を通しての和鏡台の代表的なものである。また、これを小形にし、漆塗り風に塗った姫鏡台がある。大正末には西洋の影響で三面鏡台がつくられたが、当時は普及せず、昭和30年代から40年代にかけて大流行し、椅子(いす)式鏡台が初めて使われた。昭和40年代以降はさらに洋風化が進み、机形のドレッシングテーブルや、たんす形式の化粧だんすなども使われるようになった。
[小泉和子]
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