藤原氏の氏神である春日大社の由来と数々の霊験譚を描いた絵巻。20巻。御物。付属の目録奥書によって,1309年(延慶2)に西園寺公衡(きんひら)が春日明神の加護による藤原氏一門の繁栄を祈願するため春日大社に奉納したこと,絵は宮廷の絵所預(えどころあずかり)高階隆兼(たかしなたかかね)が描き,詞書を公衡の弟,覚円法印が起草して前関白鷹司基忠とその子息3人が書き写したことが知られる。絵巻としては珍しく絹本を用い,保存もきわめて良く,鎌倉後期の社寺縁起絵巻の代表作といえる。内容は56項の霊験譚から成るが,発願者西園寺家への加護,春日社と興福寺が一体であること,法相宗との深い関係や叡山に対する優位などが強調されている。全93段におよぶ長巻を,非凡な構成力と細密な筆致,掘り塗りの技法を駆使した豊麗な彩色でまとめ,格調の高い画面を作り出している。隆兼の画法は,宮廷絵所の正系を受け継ぎ,平安時代以来の伝統的絵画技法を集大成したもので,隆兼様式ともいうべきものがここに完成していることが注目される。なお春日大社にはこの絵巻を拝見するための披見台(横幅2m)が秘蔵されていることがわかり,絵巻鑑賞の実際がうかがわれて興味深い。
執筆者:田口 栄一
《験記》詞書の成立については,1233年(天福1)以前成立の狛近真(こまちかざね)撰《教訓抄》に見える貞慶撰の〈御社験記〉をもって原流とする説,金沢文庫蔵仮題《春日権現記抄》(折紙1通)をもって原《験記》または前《験記》とする説,1331年(元弘1)書写の《漸入仏道集》をもって《験記》の底本とする説,現《験記》を第3次以降の成立とする見方などがある。《験記》の春日明神はもとより人に託して神意を表明するが,政界に進出する村上源氏への忌避や藤原忠通・頼長への嫌悪を表明したり,〈汝はわれを捨つれどもわれは汝をすてず〉と2度までもいい,〈春日山の老骨すでにつかれぬ〉と述べるなどして,すこぶる人間的である。《験記》は秘蔵されつづけ,記録によれば,数回京にもたらされたにすぎず,社家や興福寺の僧であっても,40歳未満の者には閲覧を許さなかったという。他の高僧や寺社の絵巻が多く勧進のために用いられたのに対して,氏人の氏神信仰を高めるものであったことに《験記》の特色があった。
執筆者:高木 豊
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鎌倉後期の代表的な絵巻。春日明神の霊験談を集め,20巻にまとめた大作。付属の目録によれば,西園寺公衡(きんひら)が家門繁栄を明神に感謝するために発願し,1309年(延慶2)3月に完成,春日神社に奉納された。絵は宮廷絵所預の高階(たかしな)隆兼筆,詞書(ことばがき)は公衡の弟の覚円が起草し,鷹司(たかつかさ)基忠とその3人の子息が清書。絵巻物としては珍しく絹本で,構成の妙に加え,線描と彩色による格調高い画面をつくる。貴族から庶民までの変化にとむ描写は,史料としても重要。伏見上皇を中心とする宮廷文化の興隆を反映した作品。絹本着色。縦約41cm。宮内庁蔵。
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…遊行僧一遍の足跡が当時の日本のほぼ全域にわたっていることは著名だが,この絵の作者は各地の風景と民俗を忠実に写している。絵画の技法はだいたいにおいて線描本位の自由な筆致のものから彩色の豊かな細密画風に移行するが,1309年(延慶2)の《春日権現験記》(高階隆兼作。御物)がその頂点としてあげられよう。…
…1309年(延慶2)から1330年(元徳2)まで,宮廷の絵所預の任にあった。代表的遺品として,時の権力者西園寺公衡が発願し1309年春日大社に奉納された《春日権現験記》があげられる。絵巻としては珍しい高価な絹地を用い,20巻に及ぶ大作を高い密度をもって終始入念に描いている。…
※「春日権現験記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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