落語。原話は仏典の『百喩経(ひゃくゆきょう)』にあり、中国明(みん)末の笑話集『笑府』に入り、日本で民話になった。能『松山鏡』、狂言『鏡男』も成立し、類話が各地に残るが、その落語化である。越後(えちご)の松山村の正助は、親孝行で領主に褒められ、望みの品を問われたので、亡父に会いたいと答えた。そのころ村に鏡がなかったので領主は鏡を与えた。正助は鏡に写る自分を父と思って、ひそかに日夜拝んでいた。女房が不審がり、夫の留守に鏡を見ると女の顔が写るので、けんかになった。比丘尼(びくに)が仲裁に入り鏡をのぞき「二人とも心配しなさるな。中の女は、きまりが悪いといって坊主になった」。8代目桂文楽(かつらぶんらく)が得意とした。
[関山和夫]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…和泉流も夫がシテだが,鏡売りがアドとして登場し,妻は小アド。能《松山鏡》,落語《松山鏡》と同工異曲の筋立てで,いずれも説話文学の流れを汲むものと考えられる。【羽田 昶】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」