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長与又郎

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美術人名辞典の解説

長与又郎

医学博士。東京生。号は看山。蘭方医長与専斎の三男、実業家岩永裕吉、小説家・劇作家長与善郎の兄。東京帝大卒。同大教授、医学部長、伝染病研究所所長を経て総長となる。癌研究会癌研究所を設立、所長となり日本癌学会を創始した。心臓および肝臓の研究を進めた。昭和十六年(一九四一)歿、六三才。

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デジタル大辞泉の解説

ながよ‐またろう〔‐またラウ〕【長与又郎】

[1878~1941]医学者。東京の生まれ。専斎の三男。ドイツに留学。恙虫(つつがむし)病リケッチアの発見者の一人。心臓・肝臓の病理学の権威。東大総長などを歴任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長与又郎 ながよ-またお

1878-1941 明治-昭和時代前期の病理学者。
明治11年4月6日生まれ。長与専斎の3男。ドイツに留学。明治44年母校東京帝大の教授となり,伝染病研究所長をへて昭和9年同大総長。また癌(がん)研究会癌研究所を創設し所長となる。心臓の病理とツツガムシ病の研究で知られる。昭和16年8月16日死去。64歳。東京出身。

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世界大百科事典 第2版の解説

ながよまたろう【長与又郎】

1878‐1941(明治11‐昭和16)
医学者。長与専斎の三男として東京神田生れ。1904年東京帝国大学医科大学卒業後,病理学専攻のため山極勝三郎(やまぎわかつさぶろう)に師事。1907年から2年間ドイツのフライブルク大学に留学。帰国後,東大助教授となり,病理解剖学第二講座を分担する。11年東大教授となり,15年から15年間にわたる恙虫(つつがむし)病研究に着手する。この間,内務省から文部省に移管された伝染病研究科の技師を兼務し,19年には同所長に就任。

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大辞林 第三版の解説

ながよまたろう【長与又郎】

1878~1941) 病理学者。東京生まれ。号は看山。専斎の三男。ツツガムシ病の病原体を発見、また媒介がアカムシの幼虫によることを明らかにする。伝染病研究所長・癌がん研究所長・東大総長などを歴任。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長与又郎
ながよまたろう

[生]1878.4.6. 東京
[没]1941.8.16. 東京
病理学者。長与専斎の子。 1904年東京帝国大学医科大学卒業。ドイツ留学後 10年に母校の助教授,11~38年教授,19~34年伝染病研究所所長,34年東京大学総長。 15年,恙虫病 (つつがむしびょう) の病原体を発見,以来恙虫の発育環を明らかにし,その疫学的方面でも幾多の新知見をもたらした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長与又郎
ながよまたろう
(1878―1941)

医学者。明治11年4月6日、長与専斎(せんさい)の三男として東京・神田に生まれる。作家長与善郎(よしろう)の兄。1904年(明治37)東京帝国大学医科大学を卒業。山極勝三郎(やまぎわかつさぶろう)のもとで病理学を専攻し、1907年ドイツに留学、フライブルク大学でL・アショフに従って病理学を学ぶ。1909年帰国し、翌1910年母校の助教授となり、その翌1911年教授に昇進した。以後、医学部長、伝染病研究所長を歴任、1930年(昭和5)つつが虫病の病原体を「リケッチャ・オリエンタリス」と命名した。1934年東京帝大総長に就任し、「大学の自治」のために尽力した。1936年帝国学士院会員。1941年退官。心臓および肝臓研究の世界的権威として知られる。昭和16年8月16日没。青山墓地に葬られる。[深瀬泰旦]
『長与博士記念会編『長与又郎伝』(1944・日新書院/複製・1998・大空社)』

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