日本大百科全書(ニッポニカ) 「長良川河口堰」の意味・わかりやすい解説
長良川河口堰
ながらがわかこうぜき
岐阜県郡上(ぐじょう)市高鷲(たかす)町から濃尾平野を貫流して三重県桑名市長島町で伊勢湾に注ぐ長良川(全長約160キロメートル)の河口から5.4キロメートルの地点(左岸は三重県桑名市長島町、右岸は同市福島)に、1988年(昭和63)7月に着工された堰。総工費約1500億円。1968年(昭和43)に閣議決定された当初の計画では、利水を目的としていたが、その後の水需要の実状とはあわなくなったため、当局側は目的を治水に変更し、着工した。長良川は本流にダムのないまれな川のひとつであり、自然度が高くサツキマスなど貴重な生物が遡上(そじょう)、生息するため、自然保護の見地から、堰建設の反対運動が強まった。また、堰建設に反対、あるいは消極的な姿勢の地元住民も少なくなかったが、建設省(現、国土交通省)と水資源開発公団(現、水資源機構)は工事を続行、当時の首相細川護熙(もりひろ)も1993年(平成5)11月、参議院環境特別委員会で「工事中止の考えはない」と述べた。1994年12月、当時の建設相野坂浩賢が反対派、推進派の市民代表・建設当局などによる円卓会議を提唱、翌1995年3月から8回にわたり実現したが、話し合いは平行線のまま、同建設相は1995年3月末に完成した堰の「5月23日からの本格運用(稼動)」を宣言、7月堰を閉鎖し、運用を開始した。その後、マウンド(長良川の河口から15キロメートル付近にあった上下流に比べて河床の高い部分)の浚渫(しゅんせつ)が行われ(1997年7月完了)、1998年4月より知多半島地域および三重県中勢地域への給水が開始された。
[永戸豊野]