コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

長良川河口堰 ながらがわかこうぜき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長良川河口堰
ながらがわかこうぜき

三重県北部,長良川下流に設置された可動堰。全長 661m。河口から約 5.4km上流地点に位置する。水資源開発公団 (現水資源機構) が 1988年着工,1995年運用開始。海水の逆流を防ぎ,ためた水を愛知・三重両県と名古屋市の工業・上水道用水として取水するのが目的。堰の建設をめぐっては,地元住民らによる反対運動が続いている。 1973年,流域の漁業組合が中心となり漁業権の保護を求めた河口堰建設差止訴訟を起こしたが,1981年に漁協と水資源開発公団の間に協定が結ばれ訴訟は取り下げられた。ところが 1988年,堰本体の工事が始まるのと前後して,釣りマニアや写真家などの市民や流域住民が中心となって,再び建設反対運動が盛り上がり始めた。新たな反対運動は,流域の生態系保護を中心に,治水計画の矛盾や取水の不必要性をも争点として主張している。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

長良川河口堰

国が計画し、水資源開発公団(現・水資源機構)が総事業費1500億円で建設。長良川の河口から5・4キロ上流に堰(せき)を設け、海水流入を防ぐ一方、洪水対策で堰上流を浚渫(しゅんせつ)した。上流を淡水化し、毎秒最大22・5立方メートルを取水する計画だったが、水需要が伸びず利用は一部にとどまる。アユの漁獲量は1993年以降激減したが、全国的にアユの冷水病が流行した影響なども指摘される。

(2015-06-30 朝日新聞 朝刊 1社会)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」朝日新聞掲載「キーワード」について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長良川河口堰
ながらがわかこうぜき

岐阜県郡上(ぐじょう)市高鷲(たかす)町から濃尾平野を貫流して三重県桑名市長島町で伊勢湾に注ぐ長良川(全長約160キロメートル)の河口から5.4キロメートルの地点(左岸は三重県桑名市長島町、右岸は同市福島)に、1988年(昭和63)7月に着工された堰。総工費約1500億円。1968年(昭和43)に閣議決定された当初の計画では、利水を目的としていたが、その後の水需要の実状とはあわなくなったため、当局側は目的を治水に変更し、着工した。長良川は本流にダムのないまれな川のひとつであり、自然度が高くサツキマスなど貴重な生物が遡上(そじょう)、生息するため、自然保護の見地から、堰建設の反対運動が強まった。また、堰建設に反対、あるいは消極的な姿勢の地元住民も少なくなかったが、建設省(現、国土交通省)と水資源開発公団(現、水資源機構)は工事を続行、当時の首相細川護熙(もりひろ)も1993年(平成5)11月、参議院環境特別委員会で「工事中止の考えはない」と述べた。1994年12月、当時の建設相野坂浩賢が反対派、推進派の市民代表・建設当局などによる円卓会議を提唱、翌1995年3月から8回にわたり実現したが、話し合いは平行線のまま、同建設相は1995年3月末に完成した堰の「5月23日からの本格運用(稼動)」を宣言、7月堰を閉鎖し、運用を開始した。その後、マウンド(長良川の河口から15キロメートル付近にあった上下流に比べて河床の高い部分)の浚渫(しゅんせつ)が行われ(1997年7月完了)、1998年4月より知多半島地域および三重県中勢地域への給水が開始された。[永戸豊野]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

長良川河口堰の関連キーワード日本自然保護協会日本国の研究野坂 浩賢錦 米次郎錦米次郎西条八束猪瀬直樹

今日のキーワード

俳句甲子園

1998年から松山市で開かれる全国高等学校俳句選手権大会。高校生が5人1組で句の優劣をディベートで競い合う。チームでの勝敗とは別に、個人の最優秀句も選ぶ。今年は過去最多の41都道府県から121校、15...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

長良川河口堰の関連情報