ベ平連(読み)ベヘイレン

デジタル大辞泉 「ベ平連」の意味・読み・例文・類語

ベ‐へい‐れん【ベ平連】

ベトナムに平和を!市民連合」の略。昭和40年(1965)小田実鶴見俊輔開高健らを中心結成。広範な市民の自発的参加を得て、街頭デモ反戦広告・支援カンパなど多様な反戦運動展開した。昭和49年(1974)に解散

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ベ平連」の意味・読み・例文・類語

べ‐へいれん【べ平連】

  1. 〘 名詞 〙 「ベトナムに平和を! 市民連合」の略称。昭和四〇年(一九六五)に結成された、ベトナム反戦目的とする市民運動団体。昭和四九年解散。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベ平連」の意味・わかりやすい解説

ベ平連
べへいれん

正式には「ベトナムに平和を!市民連合」という。1965年(昭和40)4月に発足した、ベトナム戦争反対の市民運動体(解散は74年1月)。代表は作家の小田実(おだまこと)。それまでの平和運動既成政党によって系列化し、有効性を欠いていたときに、多くの知識人や無党派の市民を結集し、徹夜ティーチイン、『ニューヨーク・タイムズ』紙などへの反戦広告、日米共同デモ、反戦米脱走兵への援助、在日米軍基地内での反戦運動の組織など、ユニークな活動を展開し、その新鮮さと大衆性、一定のラジカルさによって影響力をもち、多くの若者層を結集した。組織は会員制をとらず、自発的な参加を求め、最盛時には全国で300以上のグループが生まれた。また60年代末には、労働者の反戦青年委員会や学生の「全共闘」、新左翼諸党派と、反戦の共同行動を組織し、都心で数万のデモを行ったりした。ベ平連の運動と組織のあり方は、その後の市民運動・住民運動にも影響を与えた。

吉川勇一

『小田実著『「ベ平連」・回顧録でない回顧』(1995・第三書館)』『R・H・ヘイブンズ著、吉川勇一訳『海の向こうの火事――ベトナム戦争と日本 1965~1995』(1990・筑摩書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ベ平連」の意味・わかりやすい解説

ベ平連 (ベへいれん)

正式の名称を〈ベトナムに平和を!市民連合〉という。1960年代後半から70年代にかけて活動したベトナム反戦の市民運動体。代表は作家の小田実,事務局長は66年から解散まで吉川勇一である。1965年2月のアメリカ軍による大規模な北ベトナム爆撃の開始に抗議し,4月24日,小田実,開高健,鶴見俊輔,いいだ・もも,高畠通敏らの呼びかけたデモが,東京の清水谷公園で行われ(参加1500人),〈ベ平連〉が発足した。その後,徹夜ティーチイン(1965年8月14~15日),《ニューヨーク・タイムズ》紙への反戦広告掲載(同年11月16日),〈日米市民会議〉(1966年8月),反戦脱走米兵への援助(最初は1967年11月,米空母イントレピッド号からの4水兵の国外脱出援助),米軍基地内での地下反戦組織の結成,《週刊アンポ》の発行(1969年11月~70年6月),毎月1回の定例反戦デモなど,ユニークな活動をつぎつぎと展開した。組織は会員制をとらず,自発性を重んじ,68-69年には全国に300以上ものベ平連グループができた。69年6月15日にはベ平連など市民団体が中心となり,反戦青年委員会や全共闘,新左翼諸党派などを結集する7万の反戦デモを組織,政府や既成革新勢力に衝撃を与えた。ベ平連の運動と組織は,それ以後のさまざまな市民・住民運動の運動や組織形態に大きな影響を与え,74年1月26日に解散した。
ベトナム反戦運動
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「ベ平連」の意味・わかりやすい解説

ベ平連【ベへいれん】

〈ベトナムに平和を!市民連合〉の略称。1965年小田実開高健,鶴見俊輔らを中心に作られたベトナム反戦の市民運動体。デモ,討論会,反戦広告,米兵の脱走援助等多様な運動を展開。自発的な市民のゆるやかな結合を強調した。1974年解散。
→関連項目いいだもも久野収鶴見俊輔平和運動ベトナム戦争

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「ベ平連」の解説

ベ平連
ベへいれん

ベトナム反戦運動(ベトナムはんせんうんどう)

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベ平連」の意味・わかりやすい解説

ベ平連
ベへいれん

「ベトナムに平和を!市民連合」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のベ平連の言及

【意見広告】より

…60年代から70年代にかけて,ベトナム戦争をはじめ人権,消費者,環境,エネルギー・資源問題などで社会的亀裂が広がるにつれて,意見広告は産業界ばかりでなく,市民団体も積極的に行うようになってきた。日本のベ平連が《ニューヨーク・タイムズ》に反戦広告を初めて掲載したのは65年である。70年代初頭のアメリカ産業界の広告は環境対策に集中,73‐74年の石油危機の際は,エネルギー・資源問題が中心テーマとなったが,意見広告はその時点の社会的課題を描き出している。…

【市民運動】より

… この時期の運動の特徴としては,(1)高度成長により都市の大衆社会化がすすむなかで,運動が展開される社会的・経済的基盤が整った,(2)市民的自由の侵害に敏感に反応する自覚的市民が育った,(3)彼らは既成政党・労組のセクト主義・官僚主義・出世主義に批判的な無党派市民で,少数派としての運動に誇りをもっていた,(4)上からの指示や財政援助がない自まえの運動のため,市民自治能力を身につけねばならなかった,(5)民主的諸制度を活用して自由の枠を広げ,横断的な市民の連帯を模索した,などがあげられる。 1965年に発足した反戦市民組織〈ベトナムに平和を!市民連合〉(ベ平連)は,60年安保の経験と蓄積に立って,市民運動を飛躍的に前進させた。日米同時デモ,ティーチインなどの国際連帯や,絶叫型でないふだん着の運動スタイルで,運動に新風を吹き込んだ。…

※「ベ平連」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android