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関寛斎 セキカンサイ

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デジタル大辞泉の解説

せき‐かんさい〔‐クワンサイ〕【関寛斎】

[1830~1913]幕末・明治期の蘭方医。上総(かずさ)の人。佐倉順天堂の蘭方医佐藤泰然に入門、長崎でポンペに学ぶ。のち、徳島藩医となり、戊辰戦争では官軍の奥羽出張病院頭取を勤め、晩年は北海道開拓に尽力。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

関寛斎 せき-かんさい

1830-1912 幕末-明治時代の医師。
文政13年2月18日生まれ。佐倉順天堂で佐藤泰然に,のち長崎でポンペにまなび,文久2年徳島藩医。戊辰(ぼしん)戦争では新政府軍の野戦病院長をつとめる。明治6年徳島で開業。35年73歳で北海道にわたり十勝陸別町で開拓と施療に従事。大正元年10月15日死去。83歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。本姓は吉井。名は務,のち寛(ゆたか)。
【格言など】空しく楽隠居たる生活し以て安逸を得て死を待つは,此れ人たるの本分たらざるを悟る事あり

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朝日日本歴史人物事典の解説

関寛斎

没年:大正2.10.15(1913)
生年:天保1.2.18(1830.3.12)
幕末明治期の医者。上総国山辺郡中村(東金市東中)生まれ。旧姓は吉井豊太郎。明治3(1870)年寛と改名,晩年は寛と称した。佐倉の蘭方医佐藤泰然に入門,さらに林洞海,三宅艮斎に学んだ。嘉永5(1852)年帰郷して開業,安政3(1856)年銚子港荒野に移転開業した。このころ,浜口儀兵衛(梧陵)の知遇を受け,万延1(1860)年長崎に留学,蘭医ポンペに就いて西洋医学を学んで文久2(1862)年帰郷。この年12月1日徳島藩医となる。戊辰戦争に出征し,奥羽出張病院頭取として軍陣医学的功績が認められた。明治3年徳島藩巽浜医学校教授,治療所長となったが,不慮の事故により退職して徳島を去った。しかし6年再び徳島に帰り,徳島市中徳島町で開業,以後約30年間この地に住んだ。35年老齢の身をもって北海道十勝郡斗満へ渡って開拓農業に従事した。<参考文献>鈴木要吾『関寛斎』,斎藤省三他「関寛翁研究紀要Ⅰ資料編」,福島義一『阿波の蘭学者』

(福島義一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

せきかんさい【関寛斎】

1830~1912) 幕末・明治期の蘭医。上総国の生まれ。佐倉順天堂で佐藤泰然に、長崎養生所でポンペに学ぶ。徳島藩医。維新後、貧民施療に尽力。七二歳の時、北海道に入植。理想的農牧村落の建設を目指して労働と医療にあたった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

関寛斎
せきかんさい
(1830―1912)

幕末・明治時代の蘭方医(らんぽうい)。上総(かずさ)国(千葉県)の農家に生まれ、儒家関俊輔(しゅんすけ)の養子となった。名は務(つとむ)、字(あざな)は致道、寛斎と号し、明治維新後に寛と改名した。佐倉順天堂佐藤泰然の門に入って蘭方医学を修め、銚子(ちょうし)で開業中に和歌山県の実業家、濱口梧陵(ごりょう)(1820―1885)の学資援助で長崎に遊学し、蘭医ポンペに学んだ。のち徳島藩医となり、維新戦争では官軍の奥羽出張病院頭取、維新戦争後は徳島藩立医学校の設立に参画し、医学肝煎(きもいり)会頭・付属病院長となったが、ゆえあって退官。海軍省に出仕し、その後、県立山梨病院長を経て徳島で開業したが、72歳で北海道に渡り、原野を開拓、農場を開くかたわら貧民の施療にあたって関大明神と崇(あが)められた。著書に『七新薬』(1862)の校閲ほかがある。[宗田 一]

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世界大百科事典内の関寛斎の言及

【陸別[町]】より

…中心集落は利別川と陸別川,斗満(とまむ)川の合流点付近にあり,北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線,国道242号線が通じる。1902年徳島県の医師関寛斎(1830‐1913)らが入植,10年根室本線池田~陸別間に網走線(現,北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)が開通し,本格的な開拓が進んだ。主産業は林業と酪農で,豊富な森林資源を背景に製材,木材加工業が行われる。…

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