中国,元代の戯曲作家,元曲四大家の一人。漢卿は字であろうが,名は不詳。已斎と号し,大都(北京)の人。太医院尹の官歴がある。生没年はもとより,制作活動期さえ確かでないが,元雑劇が首都の大都を中心に盛行した,13世紀後半から14世紀初頭に至る間の活躍が想定される。豪放洒脱の風流人で,大都の芸能作家組織である〈玉京書会〉にあって指導的役割を担ったらしい。作品は60余編に及び,そのうち18編(疑問の作5編を含む)が現存する。いずれも〈雑劇〉形体の制約を克服して,緊密な構成と巧みな性格描写に利したばかりでなく,万人が享受しうる文学としての〈戯曲〉の特異性を認識して,それぞれに巧妙なプロットを工夫し,また,みんなの言葉〈口語〉の性能を生かした活発な歌詞により,人生の哀歓を多彩に描いた。多作はおのずから題材の多様を促し,史劇《単刀会》《西蜀夢》,裁判劇《蝴蝶夢》《緋衣夢》,恋愛劇《拝月亭》《謝天香》《金線池》など各分野に傑作を残したが,とくに女性を主人公として,その心理の描写に絶妙の手腕を発揮した。しかも,上掲のほか《救風塵》《望江亭》などで,聡明利発のヒロインがはつらつと行動する姿はまことに印象的で,しばしば対置される男性を圧倒し,そこには実人生の真実を写しとる風刺さえ感ぜられ,そのほか,あらゆる不正に屈せず無実の罪を負って刑死する若い寡婦の悲劇《竇娥冤(とうがえん)》も,元曲有数の傑作として推賞されている。
執筆者:田中 謙二
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生没年不詳。中国、元代第一の劇作家。大都(北京(ペキン))出身の人。金(きん)末に生まれ、13世紀後半に北京で戯曲の創作と演劇活動に従事し、作家グループのリーダー格であった。当時の劇作家楊顕之(ようけんし)、梁退之(りょうたいし)、費君祥(ひくんしょう)らは友人である。演劇界に詳しく、音楽に造詣(ぞうけい)が深かったことは彼の散曲から知られる。元代に書かれた北京地方誌『析津志(せきしんし)』によれば、博学でユーモラスな人物という。戯曲の大部分は女性が主役で、役柄も市井の婦人、遊女、腰元など変化に富む。いずれも理知的で温かみがあり、苦しみや圧迫に対して毅然(きぜん)と立ち向かう勇気をもっている。こうした女性や、異民族支配下の暗い社会、腐敗した官吏、ごろつき、頼りない書生など、口語を駆使して生き生きと描き出すのが特色である。作品数は60を超すが、現存するのは『救風塵』『竇娥寃(とうがえん)』『拝月亭』『単刀会』『調風月』『謝天香』等17種。『録鬼簿(ろくきぼ)』は「他界し、作品が行われている名家群」の冒頭に関漢卿の名を載せている。
[平松圭子]
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…中国の演劇はもともと喜劇から出発したものらしいが,元曲には悲劇として終結するものはまったくない。戯曲作家として傑出したのは関漢卿(かんかんけい)と王実甫の2人で,ともに14世紀初めに死んだ。関漢卿は多数の作品を公にし,舞台の経験のあった人と思われ,王実甫の名は《西廂記(せいしようき)》によって不朽である。…
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