徳川家康の側室。名は須和(すわ)。甲斐武田氏の臣、飯田直政(なおまさ)の娘。駿河今川氏の臣、神尾忠重(かんおただしげ)と結婚したが、1577年(天正5)、一子を抱えて寡婦となる。2年後、家康に仕え、阿茶局と称した。しばしば戦場にも従い、1584年の小牧長久手の戦いの際には戦場で流産した。才知に優れ、1614年(慶長19)の大坂冬の陣のときには、淀君の妹で京極高次の妻常高院(じょうこういん)とともに大坂城に入り、和睦の使者をつとめて淀君・秀頼母子の誓書をとるなど、政治的役割も果たした。1616年(元和2)の家康没後も、家康の命により髪を下ろさなかった。1620年、秀忠の五女和子(かずこ・まさこ)(東福門院(とうふくもんいん))が後水尾天皇(ごみずのおてんのう)のもとに入内したときは、和子の母代わりとして上洛。また1623年の皇女(のちの明正天皇(めいしょうてんのう))出産の際にも上洛して世話した。後水尾天皇より従一位の位を与えられ、神尾一位局とも言われるようになった。1632年(寛永9)、秀忠の死後剃髪し、雲光院と号した。
[関 民子]
『斎藤一馬・岩沢愿彦校訂『徳川諸家系譜』第1、第2(1970、1974・続群書類従完成会)』▽『高柳金芳校注『新装版 史料徳川夫人伝』(1995・新人物往来社)』
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(久保貴子)
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