江戸で用いた男娼(だんしよう)の通称。1652年(承応1)に若衆(わかしゆ)歌舞伎が禁止されたのは,その役者が男色の対象とされ,売色が盛んに行われたためであった。とくに年少者が求められたため,まだ舞台には立てぬ養成中の少年役者の売色が多く,それを専業とするものが少なくなかった。こうして〈陰の間〉の役者,つまり舞台に出ぬ役者の意の陰間は,そのまま男娼の通称となった。陰間に対して,舞台に出演するもので売色するものは舞台子,色子,旅かせぎをするものは飛子(とびこ)ともいった。また,関西では後年まで若衆と呼んだ。彼らの年齢は10~17歳が中心で,はじめは小姓風の扮装であったが,のちには髪を島田髷(しまだまげ)に結い,大振袖を着,言語や動作も女性的にした。その売色の場を提供する家を陰間茶屋と呼び,陰間を抱えている家を子供屋といった。江戸の陰間茶屋は,芳町,木挽町,湯島,芝神明などに集中していたが,前2者は芝居町に近く,後2者は寛永寺,増上寺に近く僧侶たちを客にしたからだといわれる。なお,ときには女性客もあり,また,男女の密会に利用されることもあった。
→男色
執筆者:原島 陽一
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江戸時代、男娼(だんしょう)の俗称。近世初期の歌舞伎(かぶき)の若衆(わかしゅ)、野郎には、副業として男娼をつとめる者もあったが、のちに役者養成中(陰(かげ)の間(ま))の少年が職業的男色提供者となり、陰子(かげこ)、制外子(せいがいこ)、飛子(とびこ)などの名称のうち、陰間が男娼の一般的別称として用いられ現代に至っている。江戸の芳町(よしちょう)、湯島などには、陰間を抱えて売色を斡旋(あっせん)する陰間茶屋ができたが、それらの陰間には歌舞伎とは無関係の者もあり、20歳以上の陰間もあった。島田髷(しまだまげ)に大振袖(おおふりそで)の女装が多かったが、禁令が厳しくなると男装の若衆風俗に変えた。
[原島陽一]
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…その中から,男色における兄分(念者(ねんじや),念人(ねんにん))と弟分(少人(しようじん),若衆)との間の倫理的契約(義理,意気)を重んじた衆道(しゆどう),若道(にやくどう)の成立をみるにいたった。こうした男色流行は江戸時代の前期に受けつがれ,士,僧のほか一般庶民の間にもその風がひろまり,若衆歌舞伎の発展はこれを助長するとともに,男色を売る男娼――陰間(かげま)が出現するに及んだ。この男色志向を反映して,独特の衆道文学とも呼ぶべき男色物の仮名草子や浮世草子が多数つくられている。…
※「陰間」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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