コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

若衆歌舞伎 わかしゅかぶき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

若衆歌舞伎
わかしゅかぶき

寛永6 (1629) 年から承応1 (52) 年までの約 25年間に行われた,前髪をつけた少年による歌舞伎をさす。慶長8 (1603) 年出雲の阿国がかぶき踊を創始した直後から行われていたが,寛永6年の女歌舞伎の禁によってクローズアップされた。その芸態は,『業平躍』『大小狂言』などが断片的に残されているだけで詳しくはわかっていないが,若衆の美貌が売物で,エロティックな歌詞による踊りや,能・狂言を当世風に砕いた寸劇,狂言小舞などを見せていたと思われる。男色による風紀上の弊害を理由に承応1年禁止された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

若衆歌舞伎【わかしゅかぶき】

歌舞伎の一形態。近世初期,若衆と呼ばれる前髪立ちの美少年によって演じられた歌舞伎をいう。1615年ごろから江戸・大坂・京都に興り,女歌舞伎禁止(1629年)後特に盛んになったが,歌舞を主とし,容色を売りものにした点,男色による弊害が多く,1652年に禁止された。
→関連項目陰間歌舞伎猿若男色

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

わかしゅかぶき【若衆歌舞伎】

前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。1603年(慶長8)4月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが,その同じ年の9月には,5歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので,少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。しかしこれが盛んになるのは,29年(寛永6)ころの女歌舞伎の禁令以後で,52年(承応1)に江戸で禁じられるまでの約25年間を,ふつう若衆歌舞伎時代と呼んでいる。慶長初年から京の五条河原や下鴨などで,美少年の踊り,狂言の興行があり,僧侶などの関心を集めていたことが記録に残っているが,こういった踊りや能狂言,あるいは獅子舞軽業(かるわざ)などを演じていた少年の座が,歌舞伎の名に転じたのであろう。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

わかしゅかぶき【若衆歌舞伎】

江戸初期、前髪のある少年(若衆)によって演じられた歌舞伎。女歌舞伎禁止後に盛行したが、風俗を乱すということで1652年に禁止された。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

若衆歌舞伎
わかしゅかぶき

初期歌舞伎の一時期の名称。歌舞伎の創始は出雲(いずも)の阿国(おくに)に代表される女性による踊りの芸能だったが、1629年(寛永6)「女歌舞伎」が禁止され、かわって若衆歌舞伎が社会の表面に現れてきた。すでに女歌舞伎全盛時代から併行して行われていた若衆の芸能が発達したものである。だが、これも風俗を乱すとの理由により、1652年(承応1)に禁止される。若衆歌舞伎の時代は二十数年間という短期間だった。その芸は女歌舞伎とあまり変わらなかったが、主演者の若衆俳優によって舞の芸が発達したこと、能や舞狂言の影響が強まったこと、軽業(かるわざ)芸を取り入れたことなどに特徴がある。代表的俳優は猿若(さるわか)勘三郎、玉川千之丞(せんのじょう)、右近(うこん)源左衛門らで、その多くは次の「野郎歌舞伎」の時代にも引き続いて活躍した。[服部幸雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の若衆歌舞伎の言及

【陰間】より

…江戸で用いた男娼(だんしよう)の通称。1652年(承応1)に若衆(わかしゆ)歌舞伎が禁止されたのは,その役者が男色の対象とされ,売色が盛んに行われたためであった。とくに年少者が求められたため,まだ舞台には立てぬ養成中の少年役者の売色が多く,それを専業とするものが少なくなかった。…

【歌舞伎】より

…幕府は風俗を乱すとの理由で,29年(寛永6)に他の女性芸能とともにこれを禁止してしまった。 それに代わって台頭したのが〈若衆歌舞伎〉である。前髪をつけた美少年たちによる踊りや狂言の芸能は,すでに女歌舞伎全盛時代から併行して行われていたが,この時に当たってにわかに社会の表面に押し出されてきたのである。…

【風流踊】より

…趣向をこらした扮装の者たちが,集団で笛・太鼓・鉦(かね)・鼓などの伴奏にあわせて踊る踊り。歌は室町時代後期から近世初期にかけて流行した小歌を,数首組歌にして歌う場合が多い。現在風流踊は民俗芸能として,太鼓踊カンコ踊,神踊(かみおどり),ざんざか踊雨乞踊,花踊,花笠踊,いさみ踊,聖霊踊(しようりようおどり)などの名で残っているが,その分布は東京都以西である。
[歴史]
 室町時代初期,〈囃子物(はやしもの)〉として京都近郊で演じはじめられていた風流の芸態は,作り物囃子物(囃し物)が主で,踊りといえるものは盂蘭盆会(うらぼんえ)の念仏踊(踊念仏)ぐらいであった。…

【舞】より


[歌舞伎の舞]
 舞の歴史は中世をもっていったん終止符を打ち,それに代わって,近世の黎明(れいめい)とともに踊りの芸能が舞踊史の主流となる。しかし,1629年(寛永6),女歌舞伎の禁止を契機として歴史の表面に現れた若衆(わかしゆ)歌舞伎は,再び舞に注目し,狂言系統の小舞(こまい)を介して新しい舞踊表現を生み出す。それは〈小舞十六番〉という形に整備され,舞踊訓練の手ほどきとして重視されて,のちの所作事(しよさごと)の基礎となった。…

※「若衆歌舞伎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

若衆歌舞伎の関連キーワード塩屋九郎右衛門(2代)塩屋九郎右衛門(初代)大坂太左衛門(4代)松本名左衛門(初代)玉川千之丞(初代)衆道(しゅどう)橋本金作(初代)歌舞伎・歌舞妓右近源左衛門小舞(舞踊)小舞十六番歌舞伎舞踊歌舞伎踊り野郎評判記猿若彦作服部幸雄鹿島踊り舞曲扇林関の小万若衆方

今日のキーワード

隗より始めよ

《中国の戦国時代、郭隗(かくかい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

若衆歌舞伎の関連情報