若い衆,若者,若,若連,若勢,二才(にせ)ともよばれ,15歳前後から妻帯時までの男性を指す用語。若衆組に参加すると,若者宿に入って序列を相互に確認し合い,一定期間集団生活を体験し,地域共同体の生活に必要な事柄を習得する。若衆組は近代になると青年団に改組されたが,青年団は地域社会の実務を担当した。1637年(寛永14),近江国蒲生郡蛇溝村が隣村の今堀村と水争いをしたとき,実力行使の先頭にたったのは若衆であった。若衆は所定の年齢に達するとおとな(老人)の階梯に進む。室町時代,近江国菅浦荘では上の20人の乙名(おとな),次の中乙名,末の若衆という3階梯に分かれていた。この階梯は若衆加入の順序による﨟次(ろうじ)にもとづいている。1751年(宝暦1)近江国蒲生郡今堀村の十禅師権現宮座において〈御宮御若イ衆座御仲間衆中〉が独自の仲間掟をもっていたことが知られる。
→若者組
執筆者:仲村 研
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元服前の前髪立ちの少年をさすが、単に若者の意もある。若衆はまた陰間(かげま)とともに、衆道における江戸初期からの呼び名である。男色関係で若衆はとくに17、8歳までの弟分をさし、兄分の念者とは義理を重視する間柄であった。若衆髷(まげ)に薄化粧で、華やかな伊達(だて)衣装に身を飾った。また、若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)の少年俳優に男色の相手をする者がいた。のちには一般客をとる男娼(だんしょう)が出現し、江戸では陰間茶屋として宝暦(ほうれき)(1751~64)前後に全盛をみた。
[稲垣史生]
…江戸で用いた男娼(だんしよう)の通称。1652年(承応1)に若衆(わかしゆ)歌舞伎が禁止されたのは,その役者が男色の対象とされ,売色が盛んに行われたためであった。とくに年少者が求められたため,まだ舞台には立てぬ養成中の少年役者の売色が多く,それを専業とするものが少なくなかった。…
…とくに戦国時代には,尚武の気風からことさらに女性をさげすみ,男色を賛美する傾向が強まった。その中から,男色における兄分(念者(ねんじや),念人(ねんにん))と弟分(少人(しようじん),若衆)との間の倫理的契約(義理,意気)を重んじた衆道(しゆどう),若道(にやくどう)の成立をみるにいたった。こうした男色流行は江戸時代の前期に受けつがれ,士,僧のほか一般庶民の間にもその風がひろまり,若衆歌舞伎の発展はこれを助長するとともに,男色を売る男娼――陰間(かげま)が出現するに及んだ。…
…14世紀以降の荘園制の解体と惣庄・惣村(惣(そう))の成立により地縁的な性格を強めた宮座の活動が近畿地方を中心に顕著にみられるようになった。そこでは左座と右座,東座と西座,横座・中座・下座,古座と新座というように重層的な構造をもつものがみられ,また宮座を構成する座衆が若衆,中老,おとな(乙名,老,年寄)という﨟次(ろうじ)により区分される例がみられた。この時期には惣村制を背景に宮座のおとな層が惣村の運営にあたることも多かった。…
…《日葡辞書》に〈老人と若者と〉とある。〈老若男女〉〈貴賤老若〉というように,本来はすべての人を意味する語句であるが,江戸時代の共同体社会では,おとな(老人)と若衆とを指し,二つの年齢集団を意味する用語である。若衆は15歳前後から老人になる以前の若者集団,老人は老人成(官途成)の儀礼を通過したものをいう。…
※「若衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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