雄川
おがわ
田代町・内之浦町境の六郎館岳(七五四メートル)西方を源とし、根占町川北・川南の境で鹿児島湾に注ぐ。二級河川で、流長約二四キロ、流域面積約一三五平方キロ。田代町の上流域は花瀬川ともいわれ、同町川原で麓川を合流、根占町川北・川南・横別府の境で赤瀬川を合流する。「三国名勝図会」に小根占川とみえ、「土俗麓大川と称す、上流は田代花瀬川にて、小川瀑となり、当邑をすぎ地頭館の下にて海に入る、(中略)其河口を港口といふ、横幅五十間許、満潮の時は、大船も出入せり、古は港口深広にて、唐土の商舶来て互市せり、小根占村川南の地、唐人屋敷と唱へ、市坊札辻通りを唐人町と呼ぶ」と記され、河口に根占湊が形成されていた。
雄川
おがわ
稲含山(一三七〇メートル)の中腹に源を発し、渓谷を形成しつつ秋畑を北東に向かい、小幡で北方に流れをかえ、富岡市の下田篠で鏑川に合流する。延長約一五・四キロ、流域面積約三四・三平方キロ、利根川水系に属する一級河川。轟の翁橋下流一〇〇メートルの右岸で分水する雄川用水は古くより築かれていたが、小幡藩主織田氏が入国以来、殖産興業・陣屋構築の一環として、改修を重ねた。現在に残る武家屋敷の網目状配水路、城下町の中央を流れる雄川堰は当時の面影をとどめる。同堰は生活用水のほかに下流の福島・白倉・金井、長根(現多野郡吉井町)などの農業用水として利用され、藩の御用水奉行が管理にあたった。寛政五年(一七九三)頃の灌漑水田反別(一部天水田を含む)は一〇ヵ村計二二二町余であった(「領内諸改」松浦文書)。
雄
川
ゆーひがわ
沖縄島南部東海岸に注ぐ川。流域面積一三・八平方キロ、河川延長約九キロの二級河川。河口部はラッパ状の狭い湾、いわゆるエスチュアリー(三角江)をなし、前面のサンゴ礁は河道を延長したように水道を形成している。河口右岸はこの天然の良港に臨み、漁村の港川集落が立地。源流は大里村と玉城村の境界付近にある大城ダムで、当川は源流から一キロほど西流したあと流路を南西に変えて二・五キロほど進む。この付近までの流域の地質は新第三紀の島尻層(泥岩)である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の雄川の言及
【根占[町]】より
…人口7322(1995)。鹿児島湾に面する大隅半島南西部に位置し,雄(お)川流域の沖積低地とその周辺を占める。中心集落は雄川河口の川北で,近くの根占港から対岸の薩摩半島山川港までフェリーが通じる。…
※「雄川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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