雑技(読み)ザツギ(その他表記)zá jì

デジタル大辞泉 「雑技」の意味・読み・例文・類語

ざつ‐ぎ【雑技/雑伎】

民間に行われるさまざまな技芸。特に奈良時代中国から伝来した曲芸物まねなどをさすことが多い。雑芸ぞうげい
取るに足らない技芸。
中国で、奇術や曲芸などを演じるもの。「上海―団」

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改訂新版 世界大百科事典 「雑技」の意味・わかりやすい解説

雑技 (ざつぎ)
zá jì

中国で漢代以来,公私祝宴市中の盛場で演ぜられた曲芸・手品の類の総称。〈雑伎〉とも書く。古くは〈百戯〉と称し,また雅称として〈散楽〉ともいう。その種目の多くはインドや中央アジアから伝来し,胡人による上演も見られた。すでに漢や晋の画像石に細密に彫られ,とくに山東省沂南(ぎなん)の漢墓から出たものには約10種(飛剣(真剣あやつり),弄丸(固めた泥丸の手玉とり),尋橦(壮漢が頭上に支える高柱に登った童子3人の軽わざ),走索(綱渡り),魚獣(大魚や獅子,虎,熊,鹿などに扮した演技),戯馬(馬上の曲芸)など)が見られる。このころの文献によると,ほかに呑刀,吐火や各種の水芸,また瓜の種を地中に埋めてたちまちつるを出させ実らせたり,馬やロバの首をはねて再び接着して生き返らせるという〈幻伎〉(魔術)もあった。

 北魏の時代には西域との交通の発展に伴って,百戯の演目はさらに増え,都の洛陽では各寺院の縁日ごとに盛大な見せ物が露天で演じられた。それらの芸人団体の定住区域さえあったらしい。唐代になると百戯はさらに発達して専門別に細分化し,なかには仮面を用いたり,演劇性と音楽性を加味したのもあった。その後半期になると都市の商業の発展につれて生まれた娯楽区域に,半ば常設の演芸場もできて,芸に都会的な洗練さが加わってきたと推定される。その推定を導くのが次の宋代の記録であって,北宋の《東京夢華録》,南宋の《夢梁録》などの都市繁盛記に載せる盛場の雑技を見ると,それらが漢代からの伝統を継いだ六朝・唐代の発展を基盤として,さらに芸のこまやかさと多様さを加えたものであることがわかる。もはやおどろおどろしい幻伎は演じられなくなり,虫,蛙,亀,魚,鳥などの小動物を使う芸や,皿回し,アクロバット,相撲など,一定の舞台で演じられるにふさわしい様式に定着していった。このことは,漢以来の百戯の沿革を述べた《楽書》巻百八十六や《文献通考》巻百四十七によっても確かめられる。これらの伎芸はそれぞれ専門の芸人のあいだで師から弟子へと受け継がれて伝えられたらしいが,その実態は明らかでない。

 明・清の時代になるとさらに新趣向が加わり,また地方の郷村に遺存して道教の廟の縁日などで演じられていた曲技が都市に進出して新味を添えたりしたことは,《清稗類鈔》の記述などから断片的ながら明らかにできる。今日では国家的な保護助成によって,各雑技団の団員の育成と技術の向上が図られて,とくに中国固有の伝統芸の保存に力を入れている。個々の演目については上海文芸出版社編《中国雑技芸術》(1959)に詳しい記述があり,数度の日本公演によりなじみ深いものが多い。
曲芸 →散楽
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世界大百科事典(旧版)内の雑技の言及

【散楽】より

…古代日本に伝来した大陸の芸能。物まね,軽業,曲芸,幻術などを中心とする娯楽的な見世物芸で,百戯,雑技ともいわれた。渡来以前の日本にも俳優(わざおぎ)や侏儒(ひきうど)の芸能が宮廷に集中されたことがあったが,新たに伝わった散楽は令制では散楽戸で伝習された。…

※「雑技」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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