改訂新版 世界大百科事典 「青〓院」の意味・わかりやすい解説
青院 (しょうれんいん)
京都市東山区粟田口にある天台宗の寺。三千院,妙法院とともに天台宗三門跡の一つ。かつては十楽院と号し,東山御所,粟田御所ともいう。山号はない。1150年(久安6),叡山の行玄大僧正が鳥羽法皇の帰依をうけて開創。法皇の皇子覚快法親王がそのあとをついでから門跡寺院となり,以後皇族や摂関家の子弟が法灯をつぎ,朝廷の崇信厚く,天台宗三昧流の本所として栄えた。平安末から鎌倉初期の第3代門主慈円の時代,宗風は大いに振興した。慈円は法然や親鸞を庇護し,親鸞は慈円について得度,その入滅後に廟所と御影堂が当院寺域内の大谷に営まれた。これが本願寺の起源となり,そののち本願寺法主は明治まで当院で得度することが慣例となった。寺地は,はじめ付近の白川,吉水を転々としたが,1237年(嘉禎3)現在地に移った。
南北朝時代,門主尊円法親王が青蓮院流の書風を樹立,その後の当院が日本書道界に君臨する基を開いた。だが,応仁の乱で諸堂が焼失し,戦国期には寺運は衰えた。近世の寺領1334石。堂舎も朝幕の援助で整備されたが,1893年(明治26)の火災で本堂以下ほとんどの堂宇を焼失,現在の宸殿,白書院,小御所,対面所,玄関などはその後の再建である。多くの国宝,重要文化財のなかで,とくに《絹本著色不動明王二童子像》(国宝)は世に青不動といわれ,三井寺の黄不動,高野山明王院の赤不動とともに日本三不動の一つとされる密教美術の白眉。また宸翰や古文書,それに奈良時代から室町時代に至る台密を中心とした聖教類を多く伝蔵している。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報