天皇や上皇の殿舎の一つ。内裏(だいり)における紫宸殿(ししんでん)や清涼殿(せいりょうでん)などの正殿に対して内々の空間として設けられた建物。東宮(とうぐう)や女院(にょいん)などが同居したときの御所として、また、室町時代には東北隅に配置され、南北9間東西3間の母屋として定着し、将軍参内時の休息所となるなど外部と接触する場として用いられた。内裏以外にも上皇の御所や、鎌倉・室町幕府の将軍の御所、身分の高い僧侶の御所にも設けられ、ことに幕府では前将軍、または将軍の居所である大御所に対して、将軍世子の居所を小御所といった。1867年(慶応3)、京都御所内の小御所で開かれた公卿や諸藩の代表による御前会議は、将軍徳川慶喜の辞官納地を決定し、徳川幕府滅亡の端緒となった。
[小林保夫]
鎌倉時代以降,将軍の世子の居所。転じて世子自身もさした。前将軍の居所および前将軍自身を大御所と称したのに対する。これとは別に鎌倉時代以降,院御所・内裏のなかに同名の建造物がおかれるようになり,内裏では室町時代以後,紫宸殿の東北に位置が定まる。近世初頭では御元服御殿ともよばれ,諸種の儀式,将軍・大名との対面などが行われた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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