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密教美術 みっきょうびじゅつ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

密教美術
みっきょうびじゅつ

仏教美術のうち特に密教の生み出した造形美術一般をいう。密教では特に神秘的な宗教儀礼の実践,いわゆる修法を重視し,その修法の本尊として諸尊の像や図を不可欠としたところに,密教と造形美術の深い結びつきがある。

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デジタル大辞泉の解説

みっきょう‐びじゅつ〔ミツケウ‐〕【密教美術】

密教の展開とともに生み出された造形美術。諸尊の画像・彫像や曼荼羅(まんだら)を主に、密教法具類、灌頂堂などの建築を含む。

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百科事典マイペディアの解説

密教美術【みっきょうびじゅつ】

密教信仰に関連する美術の総称。日本で美術史上密教様式としての特色をみせるのは9世紀初めに空海が唐から体系的に密教を伝えてからで,平安前期は密教美術が主流となった。
→関連項目弘仁・貞観時代五部心観浄土教美術

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世界大百科事典 第2版の解説

みっきょうびじゅつ【密教美術】

密教に基づく美術であるが,その様相は複雑である。それは密教の大陸における盛衰と日本における独自の展開によるものであり,ここではまずアジア的視野で概観を試みる。
【アジア的視野】
 南・中インドの竜樹系の〈中観(ちゆうがん)論〉と,北・中インドの無著・世親系の〈唯識論〉が接触したナーランダー寺は,パーラ朝には密教学の中心となった。仏教が,バラモン教を摂取したヒンドゥー教の隆盛に対応するため,これらと妥協し,回生を計ろうとしたところに密教学は確立された。

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大辞林 第三版の解説

みっきょうびじゅつ【密教美術】

密教の教理に基づいて曼荼羅まんだらや密教諸尊を絵画や彫刻によって描く美術の総称。密教法具類や、密教寺院の建築物である灌頂堂や多宝塔なども含む。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

密教美術
みっきょうびじゅつ

仏教の一派である密教の教理の表現としての絵画、彫刻、とくに平安前期(9世紀)の空海以後の密教の展開に伴って生み出された造形美術一般をさす。それまでの仏教は釈迦如来(しゃかにょらい)を中心とした大乗仏教で、阿弥陀(あみだ)、薬師、弥勒(みろく)の諸如来が住むそれぞれの浄土世界、つまり彼岸(ひがん)にある聖なる理想の世界を表現する、いわゆる顕教であったが、密教は現世において如来の境地に達しうるとする即身成仏の考え方にたっている。奈良時代にも四天王、梵天(ぼんてん)、帝釈(たいしゃく)天、観音(かんのん)など密教的な諸尊もあったが、これらは仏教世界の守護神としての役割をもち、この時代のものは「雑密(ぞうみつ)」という。これに対し真言(しんごん)・天台以後の密教を「純密」といっている。
 密教美術の遺品はインド、ネパール、ジャワにもみられ、チベットには特異なチベット仏教(ラマ教)美術があるが、純密系の美術が盛行した中国唐代の作品はほとんど失われたのに対し、日本には遺品が豊富に存在している。これは、密教、とくに純密系が長く日本の仏教界の主導的立場を維持してきたことの証左といえよう。[永井信一]

密教美術の特徴

密教の密は秘密の意で、定められた儀軌(儀式と法規)に従って修法を行わなければならない。修法は他見を許さず、秘法秘儀とし、呪術(じゅじゅつ)的要素をもち、その世界は曼荼羅(まんだら)図で表現される。壇を築き、法具を配し、儀軌に従って本来は土に本尊以下の諸尊を描いたが、日本では念ずる仏の姿を描いた画幅が掲げられた。このように密教の修法が諸尊の図像を不可欠としたところから造形美術の発達を促した。
 これに伴い仏像の種類が増大した。華厳(けごん)や瑜伽行(ゆがぎょう)派などの思想に基づく理論づけと、大日(だいにち)如来に帰一する諸尊の体系化が進められ、仏教以外の宗教の神々も積極的に取り入れられ、それぞれに異なった性格や力をもつ仏(ほとけ)が、大衆の現世利益(げんぜりやく)的な信仰にこたえた。菩薩(ぼさつ)、明王(みょうおう)、天部など従来脇役(わきやく)にあった諸尊が密教美術の主役を務めるようになる。女神の出現も密教美術の特色の一つであり、元来ヒンドゥー教の女神であった吉祥(きちじょう)天と弁才天が加わって豊満な官能的表現が試みられ、こうした写実的な肉体表現は大阪・観心寺如意輪(にょいりん)観音坐像(ざぞう)(観心寺)にみられるように、雑密系の観音像にも及んでいる。
 さらに、大衆のさまざまな願いにこたえるために多面多臂(たひ)の像が生まれた。十一面・千手(せんじゅ)・准(じゅんてい)・不空羂索(ふくうけんじゃく)・如意輪の観音像、普賢(ふげん)・延命(えんめい)菩薩、孔雀(くじゃく)明王像などである。女性的な観音像に対し、明王像は男性的で、衆生の魔障や外敵を摧破折伏(さいはしゃくぶく)するため忿怒(ふんぬ)の形相で表現され、陀羅尼(だらに)(梵語の呪文)を唱えて祈るとき効験あらたかとされた。忿怒像には五大明王のほか馬頭(ばとう)観音、金剛(こんごう)童子などがある。[永井信一]

曼荼羅

密教美術に特有なもので、ものの本質、中心、宇宙、道場を表し、完全無欠な世界の象徴として描かれ、掛幅として道場の堂内にかけられた。曼荼羅には、大日如来を中心に理の世界を表す胎蔵界と、円と方形を組み合わせて智の世界を表す金剛界の二系統があり、これを一対として両界(りょうがい)曼荼羅という。曼荼羅図は分解して五重塔内の中心柱や四天柱に描くことがあり、京都・醍醐(だいご)寺五重塔の初層、岩手県・中尊寺金色(こんじき)堂、京都・法界寺阿弥陀堂などにその例がみられる。両界曼荼羅のほかに、修法の性質によって特定の尊や経法に基づく別尊曼荼羅がつくられている。[永井信一]

密教美術の展開

空海は806年(大同1)に唐より帰朝して『大日経』『金剛頂経』による新しい密教を請来(しょうらい)した。同時に経典や儀軌も輸入され、紀州(和歌山県)高野山(こうやさん)に真言宗道場として金剛峯(こんごうぶ)寺を建立し、平安京守護のために教王護国寺(東(とう)寺)を造建した。空海より先に帰朝した最澄(さいちょう)は比叡山延暦(ひえいざんえんりゃく)寺で天台宗を開いたが、天台の密教的色彩は最澄以後の円仁(えんにん)、円珍のころに顕著になり、その特色は彫像よりも絵画に著しい。平安・鎌倉期の絵画史は天台密教の仏画によってほとんど占められているといっても過言ではないが、その原点となったのは図像類である。図像は諸尊の形態や細部の特徴を紙本に墨書した白描画で、儀軌を踏まえながら新しい解釈をも盛り込み、動きのあるものになっている。とくに五大明王信仰の中心本尊としての不動明王は真言系にも影響を与え、信海筆の不動明王(醍醐寺)のような優れた作品を生んだ。こうした図像類は天台密教のうちでもとくに園城(おんじょう)寺系統の寺院に受け継がれ、鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)は宗教的絵画の新しい分野を開拓した。一方、真言密教では教理の表現を重視し、東寺旧蔵の十二天像(京都国立博物館)のような安定した構図で、曼荼羅的な優美な作品をつくりだした。
 真言・天台の密教は南都(奈良)諸大寺に及び、さらにその現世利益的な信仰によって、地方の大衆のなかに深く根を下ろしていったが、その過程で見逃すことのできないのは修験者(しゅげんじゃ)たちの働きである。彼らはその土地の山岳信仰と結び付いて山中で修行し、信仰する尊像を大衆の間に広め、鉈(なた)彫り像や石仏を残している。大部分の鉈彫りは肉身部分は滑らかに仕上げ、衣服部分は鉈目(なため)を残すもので、円空や木食上人(もくじきしょうにん)の造像はこの系列にある。『大日経』には、密教の阿闍梨(あじゃり)たる者は絵画・彫刻の技術を身につけ、仏像や曼荼羅は自らつくるものと定められているが、鉈彫りや石彫りの仏像はこうした教えの実践の結果とみることができる。
 なお、密教寺院独特の建物に多宝(たほう)塔とよばれる重層の塔がある。これは大日如来の三昧耶(さんまや)形を表すもので、その形は金剛界曼荼羅に描かれている。真言の灌頂(かんじょう)堂、天台の常行(じょうぎょう)堂、法華(ほっけ)堂なども密教特有のものである。[永井信一]

密教法具

密教の修法に使用する金属の法具には、美術工芸的な価値の高いものが多い。空海請来の東寺蔵の密教法具は有名である。その形は古代インドの武器や日用具から変化したものが多い。おもなものに金剛杵(しょ)、金剛鈴(れい)、金剛盤、金(こんぺい)、羯磨(かつま)、花瓶(けびょう)、火舎(かしゃ)(香炉)、護摩壇などがある。[永井信一]
『石田尚豊編『日本の美術33 密教画』(1969・至文堂) ▽伊藤延男著『日本の美術8 密教の建築』(1973・小学館) ▽佐和隆研著『密教の寺――その歴史と美術』(1974・法蔵館) ▽佐和隆研著『日本の美術8 密教の美術』(1979・平凡社) ▽佐和隆研・浜田隆編『密教美術大観』全4巻(1983~84・朝日新聞社)』

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世界大百科事典内の密教美術の言及

【平安時代美術】より

…ただし見方によって,894年(寛平6)の遣唐使廃止によって象徴される大陸文化との一応の絶縁までを弘仁・貞観あるいは貞観時代といって,それ以後の藤原時代と区別したり,10世紀中ごろのようやく和様化の顕著となってくる時期までを平安前期,以後を和様の完成からその展開の時期とみて平安後期のように二分するなど,諸説がある。これらの考え方の根底には,9世紀における華麗な密教美術の開花と,いわゆる一木彫像の示す存在感の強烈な印象が,一つの画期的なものであるという主張がうかがえる。それはたしかに奈良時代の古典様式とたたえられる調和的な様式から,それを破る方向への移行としてとらえられる。…

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