日本大百科全書(ニッポニカ) 「頸城油・ガス田」の意味・わかりやすい解説
頸城油・ガス田
くびきゆがすでん
新潟県南西部の上越市(じょうえつし)北西部(旧、大潟町)の海岸沖合い300メートルから2.3キロメートルに広がる油田。1958年(昭和33)帝国石油(現、国際石油開発帝石)による地震探鉱(エアガン)手法によって発見された。第三紀中新世寺泊(てらどまり)層に賦存し、深度1500メートル。陸上から傾斜掘りで探鉱され、「人工島」とよばれたわが国初のプラットホーム方式で開発された。1960年から1968年までに4基が設けられた。第1人工島の工事設計はアメリカのマクダモット社に依頼された。最盛期の1964年にはガス157万立方メートル、原油日量470キロリットルを産出し、頸城鉱業所が独立して設けられ、従業員950名余を擁した。その後生産量の衰退から1972年に鉱業所は廃止され、翌年から1988年までにかけてプラットホームが撤去された。1988~1998年(平成10)では年産2万キロリットル台に減少して産出が続いていた。しかし、この油田の開発は、従来のわが国の小規模陸上油田開発から大規模の海洋油田開発への幕開けになったほか、本格的な天然ガス探鉱の開始、東京パイプラインの敷設、自社精製部門への進出など画期的な油田であった。
[高津斌彰]
『帝国石油株式会社編・刊『帝国石油五十年史』(1992)』▽『天然ガス鉱業会編・刊『日本の石油と天然ガス』(1998)』