高島嘉右衛門(読み)タカシマカエモン

デジタル大辞泉 「高島嘉右衛門」の意味・読み・例文・類語

たかしま‐かえもん〔‐カヱモン〕【高島嘉右衛門】

[1832~1914]実業家・易断家。常陸の人。号、呑象どんしょう横浜材木商・建築請負業などを営む。東京・横浜間の鉄道・国道工事に尽力易学研究し、「高島易断書」を著した。

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精選版 日本国語大辞典 「高島嘉右衛門」の意味・読み・例文・類語

たかしま‐かえもん【高島嘉右衛門】

  1. 実業家、易断家。常陸国茨城県)の人。材木、ガス、鉄道敷設などの事業を営む。また易学に通じ、呑象(どんしょう)と号し、大典「高島易断書」を著した。天保三~大正三年(一八三二‐一九一四

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改訂新版 世界大百科事典 「高島嘉右衛門」の意味・わかりやすい解説

高島嘉右衛門 (たかしまかえもん)
生没年:1832-1914(天保3-大正3)

幕末・維新期の実業家,易学家。江戸三十間堀材木商の子として生まれる。のち,横浜太田町に商店を開き外国貿易を企てたが,幕府禁令にふれ,一時入獄。このとき易書をたしなむ。明治維新後,1870年より新橋~横浜間の鉄道や道路の開設に当たり,また横浜のガス灯の設置や埋立事業にも関係した。この間,71年には3万円を投じて,私塾藍謝堂(のちの高島学校)を開設した。その後,92年北海道炭礦鉄道会社社長に就任,また石狩十勝地方に高島農場を開拓するなど,多くの会社の経営者を兼ねて活動した。他方,かつて研究した易学をまとめて《高島易断》(1894)を著し,呑象と号してその開祖となった。易占を請う者が,多数その門戸を訪れたといわれる。危篤に際し従五位に叙せられた。

 易学家としての高島は,日清・日露両戦争の経過に関する予言伊藤博文暗殺の予言などで盛名を高め,易聖と仰がれた。また,みずからの死を月日にいたるまで予知したと伝えられる。
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20世紀日本人名事典 「高島嘉右衛門」の解説

高島 嘉右衛門
タカシマ カエモン

明治期の実業家,易学者 北海道炭礦鉄道社長;東京市街電気鉄道社長。



生年
天保3年11月1日(1832年)

没年
大正3(1914)年11月14日

出生地
常陸国新治郡牛渡村(茨城県)

出身地
江戸・三十間堀(東京都中央区銀座)

別名
幼名=清三郎,号=高島 呑象(タカシマ ドンショウ)

経歴
少年時、江戸に出て材木商を営んで成功するが、万延元年金貨密貿易で幕府に捕えられる。獄中、易学書を精読。慶応元年出獄後、横浜で貿易商を始め、巨利を得る。ホテル業、回船問屋経営のほか、ガス事業、神奈川湾埋め立て(現・高島町)、鉄道敷設事業も手がけた。北海道開拓にも乗り出し、25年北海道炭礦鉄道会社社長となり、石狩・十勝に高島農場を開設。36年東京市街電気鉄道会社社長。この間、易理の研究もつづけ、38年「高島易断」(全18巻)を著し、名声を得た。

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朝日日本歴史人物事典 「高島嘉右衛門」の解説

高島嘉右衛門

没年:大正3.11.14(1914)
生年:天保3.11.1(1832.11.22)
幕末明治期の実業家,易断家。幼名清三郎,号は 呑象。高島嘉兵衛,くにの長男として江戸三十間堀(東京都中央区銀座)に生まれ,家業の建築請負業,材木商に従事する。安政6(1859)年横浜に物産店を開くが,万延1(1860)年貨幣密売の禁を犯し,慶応1(1865)年まで獄中生活を送る。獄中で『易経』を得,易を研究する。出獄後,横浜で建築請負業,材木商を営み,英国公使館の建設を請け負うなどし,巨額の富を築く。明治初年には旅館業,廻船業を営むほかに,横浜―神奈川間の埋め立て(現西区高島),横浜瓦斯局の設立などの事業に取り組んだ。さらに4年高島学校を創設し,福沢諭吉の招聘を試みるが果たせず,福沢の弟子たちが派遣され,外国人と共に教育に当たった。7年高島学校焼失。9年には実業界を引退し,『高島易断』の執筆にいそしむが,再び実業界に転じ,25年北海道炭礦鉄道会社社長,36年東京市街電気鉄道会社社長を歴任した。<参考文献>植村澄三郎『呑象高島嘉右衛門翁伝』

(米山光儀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高島嘉右衛門」の意味・わかりやすい解説

高島嘉右衛門
たかしまかえもん
(1832―1914)

実業家、易断家。建築請負、材木商嘉兵衛の六男として江戸・三十間堀に生まれる。少年のころから商才を示し、材木商を開業、巨利を占めたともいわれる。幕末の開港後、横浜で貿易店を開くが、禁制に触れ投獄され、その間易学に親しんだ。釈放後は横浜に定住し、土木建築請負を中心に各種事業を営むかたわら、洋式教育の高島学校を設立した。編著『高島易断書』は呑象(どんしょう)の号とともに有名である。

[浅野俊光]

『『呑象高島嘉右衛門翁伝』(1914・同書刊行会)』『『高島嘉右衛門自叙伝』(1917・同書刊行会)』

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百科事典マイペディア 「高島嘉右衛門」の意味・わかりやすい解説

高島嘉右衛門【たかしまかえもん】

幕末・明治維新期の実業家。学家としては呑象と号す。江戸の材木商の子として生まれ,横浜での外国貿易で金銀貨の売買を扱ったとして入獄,易書を学ぶ。維新後,1871年に私塾の藍謝堂(のち高島学校)を開設するとともに,京浜間の鉄道敷設や道路の開設,横浜のガス灯建設などにも関与。1892年北海道炭砿鉄道会社社長に就任するなど経営に携わる一方,《高島易断》を著し,日清・日露両戦争の経過や伊藤博文暗殺を予言した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高島嘉右衛門」の解説

高島嘉右衛門 たかしま-かえもん

1832-1914 幕末-大正時代の実業家,易学家。
天保(てんぽう)3年11月1日生まれ。横浜で貿易店をひらき,幕府禁制品売買の罪で入獄。慶応元年出獄後,土木建築業などをいとなみ,明治25年北海道炭礦鉄道社長。また易の研究にうちこみ,「高島易断」を刊行。大正3年11月14日死去。83歳。江戸出身。号は呑象(どんしょう)。

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世界大百科事典(旧版)内の高島嘉右衛門の言及

【易者】より

…法的には規制はなく,大道易者も道路交通法の取締りの対象となっているだけである。実業家の高島嘉右衛門(呑象,1831‐1914)は易断の権威であり,その系統は高島易断所を呼称している。人相学【遠藤 元男】。…

※「高島嘉右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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