日露戦争後深まった日米間の対立を緩和する目的で、1908年(明治41)11月30日、ワシントンで、駐米大使高平小五郎(1854―1926)とアメリカ国務長官エリヒュー・ルートとの間で交換された「太平洋方面に関する日米交換公文」をいう。太平洋における両国商業の自由平穏な発達、現状維持、所領の尊重、清(しん)国の独立および領土保全ならびに清国における列国商工業の機会均等、これらを侵迫する事件発生に際しての日米両国の協商など、5項目からなっている。高平大使がこの5項目を含む書簡をルート国務長官に送り、ルートがそれを確認する書簡を高平大使あてに返す形式をとっている。
[中塚 明]
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1908年(明治41)11月30日,高平小五郎駐米大使とアメリカ国務長官ルートとの間で交換された公文。日米間の緊張を緩和し,日本の在満権益を確保し,さらに日米間の緊張を利用しようとする中国・ドイツの策動を封じることが目的とされた。太平洋方面の現状維持,中国の領土保全と中国の商工業上の機会均等などが規定された。表現があいまいで解釈に疑義を生じた。
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…ニューヨークで弁護士開業後,陸軍長官(1899‐1904)として陸軍の近代化に貢献。1905年セオドア・ローズベルト政権下の国務長官(1905‐09)に任命され,中国における門戸開放と太平洋における現状維持を確認した〈高平=ルート協定〉(1908)を日本との間に締結した。09‐15年ニューヨーク州選出上院議員となり,10年ハーグ国際仲裁裁判所判事にも就任。…
※「高平ルート協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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