香川県の北半を占める平野。讃岐山脈を底辺に半円形をなし,山脈から流下する河川に沿って形成された大小の扇状地状の三角州からなる。東から香東川のつくる高松平野,土器川と金倉川の丸亀平野,財田川と高瀬川の三豊平野などに分けられる。畿内に近いため開発は古くからすすみ,近畿地方に匹敵するほどの条里制が発達したことをうかがわせる碁盤目状の道路網や農業用水路網が残っているが,降水量も河川の集水面積も小さいことから干ばつ常襲地として水利の苦労が続いた。山麓の小さな谷をせき止めてつくった麓池や台地池,平野部につくられた皿池など大小2万余に及ぶ灌漑用の溜池がそれを物語る。最大の溜池は満濃(まんのう)池である。1975年に吉野川の水を讃岐山脈を貫通して導入する香川用水が完成して干ばつのおそれはなくなったが,利水・防災用として溜池の必要性は失われていない。
近世,東部(東讃)でサトウキビ畑と塩田,西部(西讃)でワタ畑が大規模に開かれ,〈讃岐三白〉と呼ばれた綿,砂糖,塩は高松藩や丸亀藩の重要な財源となった。明治末期に綿花,砂糖の生産は衰微し,最後まで残った塩田も1971年に廃止されて,跡地は工業用地,住宅地などになっている。番の州埋立地にコンビナートが造成された1960年代後半から,東の志度町(現,さぬき市)から西の詫間町(現,三豊市)に至る海岸では工業用地の埋立てが相次いだ。平野部には,屋島,五色台,飯野山などの開析溶岩台地の残丘が点在し,無数の溜池とともに讃岐地方の特色ある景観を呈している。
執筆者:坂口 良昭
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香川県北部にやや不連続に広がる平野の総称。南の讃岐山脈から放射状に流下する財田(さいた)川、土器(どき)川、香東(こうとう)川、鴨部(かべ)川などの河川堆積(たいせき)物により形成された扇状地と三角州からなる。これらの平野は、三豊(みとよ)平野、丸亀(まるがめ)平野、高松平野、大川平野などに区分される。石材として有名な庵治(あじ)石に代表される中生代後期の領家花崗岩(りょうけかこうがん)が平野の基盤をなし、花崗岩が風化してできた石英の多い砂は松の緑とともに白砂青松の美しい海岸の風景を構成する。新生代第三紀後期に瀬戸内地域では激しい火山活動があり、この基盤の上に大量の溶岩(讃岐岩、讃岐岩質安山岩)を噴出し、広大な溶岩台地が形成された。この溶岩台地は侵食を受け、台地状のメサや円錐(えんすい)状のビュートといった讃岐平野独特の地形がつくられた。メサの代表例は屋島、国分台(五色台)、城山(きやま)、大麻(おおさ)山(象頭山(ぞうずさん))などで、ビュートの例は飯野(いいの)山、六目山(むつめやま)、白山(しらやま)などである。開発は古く、丸亀平野、高松平野などには条里遺構、条里地名が数多くみられ、集落は散村的形態をとることが多い。年降水量が約1200ミリメートルと少なく、水田率は全国平均の約2倍と高いために、満濃池(まんのういけ)をはじめ大小約2万の溜池(ためいけ)が山麓(さんろく)や谷、さらに平野部に築かれ、水田灌漑(かんがい)に利用されている。
[新見 治]
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