高橋竹山(読み)タカハシ チクザン

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「高橋竹山」の解説

高橋 竹山(初代)
タカハシ チクザン


職業
津軽三味線奏者

本名
高橋 定蔵

生年月日
明治43年 6月17日

出生地
青森県 東津軽平内町小湊

学歴
八戸盲唖学校卒

経歴
2歳になる前にハシカで半分失明、15歳で遊芸人に弟子入りし、三味線を習う。17歳で独り立ちし、ボサマと呼ばれる門付けの旅を続けた。40歳で八戸盲唖学校を卒業、また鍼灸も学んだ。昭和25年津軽民謡大家、成田雲竹と出会い、竹山を名乗る。以来雲竹とのコンビがつづき、「弥三郎節」「十三の砂山」「ホーハイ節」など数々の民謡に伴奏づけし、世に送り出す。38年に初の津軽三味線独奏レコードを収録。39年雲竹引退後は独自の工夫を重ね、伴奏三味線から独立した舞台芸に高めた。のち全国巡業が行われ、津軽三味線の第一人者として幅広いファンをもつに至る。48年より東京のジァン・ジァンで定期公演を続け、61年米国公演、平成3年パリ公演なども行い絶賛を博した。52年には映画竹山ひとり旅」のモスクワ映画祭出品にも参加した。平成8年喉頭がんの手術を受け、女性弟子の高橋竹与に二代目竹山を譲った。

受賞
青森県褒章〔昭和48年〕,勲四等瑞宝章〔昭和58年〕 青森県文化賞〔昭和46年〕,点字毎日文化賞(第12回)〔昭和50年〕,吉川英治文化賞〔昭和50年〕,松尾芸能賞〔昭和57年〕,伝統文化ポーラ賞(特賞 第8回)〔昭和63年〕,日本民謡協会名人位

没年月日
平成10年 2月5日 (1998年)

伝記
新ライバル物語〈第3巻〉―闘いが生む現代の伝説高橋竹山に聴く―津軽から世界へ 産経新聞特集部 編佐藤 貞樹 著(発行元 柏書房集英社 ’04’00発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「高橋竹山」の解説

高橋 竹山(1代目)
タカハシ チクザン

昭和・平成期の津軽三味線奏者



生年
明治43(1910)年6月17日

没年
平成10(1998)年2月5日

出生地
青森県東津軽郡平内町小湊

本名
高橋 定蔵

学歴〔年〕
八戸盲啞学校卒

主な受賞名〔年〕
青森県文化賞〔昭和46年〕,青森県褒章〔昭和48年〕,点字毎日文化賞(第12回)〔昭和50年〕,吉川英治文化賞〔昭和50年〕,松尾芸能賞〔昭和57年〕,勲四等瑞宝章〔昭和58年〕,伝統文化ポーラ賞(特賞 第8回)〔昭和63年〕,日本民謡協会名人位

経歴
2歳になる前にハシカで半分失明、15歳で遊芸人に弟子入りし、三味線を習う。17歳で独り立ちし、ボサマと呼ばれる門付けの旅を続けた。40歳で八戸盲啞学校を卒業、また鍼灸も学んだ。昭和25年津軽民謡の大家、成田雲竹と出会い、竹山を名乗る。以来雲竹とのコンビがつづき、「弥三郎節」「十三の砂山」「ホーハイ節」など数々の民謡に伴奏づけし、世に送り出す。38年に初の津軽三味線独奏レコードを収録。39年雲竹引退後は独自の工夫を重ね、伴奏三味線から独立した舞台芸に高めた。のち全国巡業が行われ、津軽三味線の第一人者として幅広いファンをもつに至る。48年より東京のジァン・ジァンで定期公演を続け、61年米国公演、平成3年パリ公演なども行い絶賛を博した。52年には映画「竹山ひとり旅」のモスクワ映画祭出品にも参加した。平成8年喉頭がんの手術を受け、女性弟子の高橋竹与に二代目竹山を譲った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高橋竹山」の意味・わかりやすい解説

高橋竹山(1世)
たかはしちくざん[いっせい]

[生]1910.6.17. 青森,平内
[没]1998.2.5. 青森
津軽三味線奏者。本名は高橋定蔵。はしかが原因で2歳になる前に半失明。小湊尋常小学校に8歳で入学したものの数日で登校をやめる。 14歳で盲目の門付け芸人に弟子入りし,三味線を習う。2年後に独立してからは単独で北海道を中心に門付けして歩いた。第2次世界大戦後,津軽民謡の実力者,成田雲竹から声がかかり,三味線伴奏者として活動し,雲竹から竹山の名をもらう。独学でマスターした尺八でも津軽民謡の普及に貢献。 64年雲竹の引退を機に独奏者の道を進む。 73年からは東京・渋谷の小劇場「ジァン・ジァン」での定期公演を重ねながら演奏に工夫を加え,三味線を従来の伴奏楽器から独奏楽器へと高めた。 74年には日本民謡協会から名人位を贈られた。『自伝・津軽三味線ひとり旅』 (1975) は吉川英治文化賞を受賞。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋竹山」の解説

高橋竹山(初代) たかはし-ちくざん

1910-1998 昭和-平成時代の津軽三味線奏者。
明治43年6月17日生まれ。目が不自由なため15歳で門付け芸人に弟子入りして三味線を習得。戦後成田雲竹の伴奏をつとめ,津軽民謡を全国にひろめた。のち独奏者として活躍。昭和50年吉川英治文化賞。平成4年パリ公演をおこなう。平成10年2月5日死去。87歳。青森県出身。本名は定蔵。著作に「自伝・津軽三味線ひとり旅」。
【格言など】三味線はたたくものでなく,弾くもの

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高橋竹山」の解説

高橋 竹山 (たかはし ちくざん)

生年月日:1910年6月17日
昭和時代の津軽三味線演奏家
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android