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高群逸枝 たかむれいつえ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高群逸枝
たかむれいつえ

[生]1894.1.18. 熊本
[没]1964.6.7. 東京
女性史研究家,詩人。初め熊本で小学校の代用教員。上京後,詩集放浪者の詩』『日月の上に』を出版して詩人として認められた。1年あまりアナーキズム系の雑誌『婦人戦線』の編集に携わったが,37歳以後一切の交遊を断ち女性史の研究に専念,大きな業績を上げた。主著母系制の研究』 (1938) ,『招婿婚の研究』 (1953) ,『女性の歴史』 (4巻,1954~58) など。『高群逸枝全集』 (10巻,1966~67) がある。

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デジタル大辞泉の解説

たかむれ‐いつえ【高群逸枝】

[1894~1964]女性史研究者。熊本の生まれ。昭和5年(1930)平塚らいてうと無産婦人芸術連盟を結成。のち、「母系制の研究」「招婿婚の研究」などを著して女性史研究を確立。

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百科事典マイペディアの解説

高群逸枝【たかむれいつえ】

女性史研究家,評論家熊本県生れ。熊本女学校を中退し,小学校代用教員を務めながら文芸を志した。1919年橋本憲三と結婚。1920年上京して婦人矯風会に関係し,女性解放・女権拡張の運動(フェミニズム)に従事

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高群逸枝 たかむれ-いつえ

1894-1964 大正-昭和時代の女性史研究家,詩人。
明治27年1月18日生まれ。大正8年橋本憲三と結婚し,翌年上京して詩集「日月の上に」などを発表。平塚らいてうらの婦人解放運動に参加,昭和5-6年「婦人戦線」を主宰する。6年より自宅にこもり女性史研究に没頭した。昭和39年6月7日死去。70歳。熊本県出身。熊本女学校中退。本名は橋本イツエ。著作に「母系制の研究」「招婿婚の研究」「大日本女性人名辞書」など。
格言など】私はこの世に歓迎せられて生れてきた(「火の国の女の日記」)

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世界大百科事典 第2版の解説

たかむれいつえ【高群逸枝】

1894‐1964(明治27‐昭和39)
評論家,女性史研究家。熊本県の教育者の家に育ち,女学校を中退して,女工や代用教員をしながら文芸家を志す。1919年橋本憲三と結婚,翌年上京して詩集《日月の上に》などを上梓し注目された。30年平塚らいてうらと無産婦人芸術連盟を結成し,《婦人戦線》を主宰して,アナーキズムの立場で評論,婦人問題を執筆した。31年からは運動を退き,自宅にこもって女性史研究に没頭。36年《大日本女性人名辞書》を刊行,《母系制の研究》(1938)で日本古代に母系制が存在したことを立証したのをはじめ,《招婿婚の研究》(1953)で従来の婚姻史をくつがえすなど,女性史研究に一里塚を築いた。

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大辞林 第三版の解説

たかむれいつえ【高群逸枝】

1894~1964) 女性史研究家。熊本県生まれ。平塚らいてうらの女性解放運動に加わる。のち著述に専念。古代日本における母系制の存在を主張。著「母系制の研究」「招婿婚の研究」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高群逸枝
たかむれいつえ
(1894―1964)

女性史研究家。文筆と婦人解放運動に活躍後、後半生は在野の研究者として日本の婚姻史・女性史の研究に没入し、正統派の歴史学および柳田国男(やなぎたくにお)の婚姻史における盲点ないし弱点を鋭くついた。明治27年1月18日熊本県に生まれる。県立熊本師範学校と私立熊本女学校を中途退学、女工と代用教員の生活を経てから、5か月にわたる苦難の四国遍路の巡礼記を『九州日日新聞』に連載して、多感な文才を認められた。代用教員時代に出会った他校の代用教員橋本憲三(1897―1976)と結婚(1919)、男女の同志的一本化という理想を一生涯必死に追求した。新聞投稿の詩が認められて上京、詩・小説・評論に才筆を振るい、平塚らいてうらの婦人解放運動に加わって活躍したが、運動に飽き足らないで女性史の研究を始めた。1931年(昭和6)以降、いっさいの俗事を夫に任せて外出もしないで、書斎に閉じこもった。膨大な古い系譜をはじめとして、古代史・中世史の史・資料を網羅的に集め、その克明な解読を通して、主著『母系制の研究』(1938)、『招婿(しょうせい)婚の研究』(1953)を著した。これによって、日本における母系制の存在と妻問い・招婿婚の実態が明らかにされたが、既成の学界や柳田国男らからは無視された。しかし、理論構成上の難点にもかかわらず、その成果は今後のいっそうの検討・評価に値するものであり、『女性の歴史』全4巻(1954~1958)は日本女性史をイデオロギーから離れて最初に体系化した労作である。昭和39年6月7日没。没後、自伝『火の国の女の日記』(1965)が刊行された。[鈴木二郎]
『『高群逸枝全集』全10巻(1965~1967・理論社) ▽高群逸枝著『娘巡礼記』(岩波文庫) ▽高良留美子著『高群逸枝とボーヴォワール』(1976・亜紀書房) ▽鹿野政直・堀場清子著『高群逸枝』(1977・朝日新聞社) ▽村上信彦著『高群逸枝と柳田国男』(1977・大和書房)』

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世界大百科事典内の高群逸枝の言及

【古代家族論】より

…そして,史料上も戸籍・計帳を除外する傾向も生じた。そのうちから,高群逸枝の一連の女性史研究の成果を継承しつつ,9世紀以前の農業社会における家族は,各自の私産をもちよる男女が婚姻と母系血縁紐帯で結合する流動的な生活共同体としての家が一般的で,村などの共同体を構成するには至っていないとする見解も現れた。こうした所論は,古代家族の概念に根底から対立する概念といえよう。…

【婚姻】より

姻族近親相姦婚礼【末成 道男】
〔諸民族の婚姻形態とその歴史〕

【日本】

[古代]
 日本古代の婚姻形態については,正倉院に現存する8世紀の戸籍・計帳では妻の夫籍への付貫が原則であり,《万葉集》に見られるような妻問(つまどい)を婚姻開始時にもつとしても,結局は後世の婚制と同様な嫁聚婚(嫁入婚)に帰着したとするのが主流的説であった。しかしかかる通説を全面否定したのが高群逸枝(たかむれいつえ)《招婿婚の研究》(1953)である。この説は,籍帳には独身の成年男女例,1・2歳の乳児がいながら妻を付籍しない例,生家に子とともに付籍されている娘の例など通説では説明できない事象が広く存在し,しかもかかる例が律令国家の規制の弱まる後代の籍帳ほど多くみられる点をもう一つの根拠にしているが,その最大の論拠は10世紀以降の貴族の日記から復元される婚制が婿取婚(婿入婚)である事実であった。…

※「高群逸枝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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