日本の歴史的な計量単位系。古代中国の度量衡制度にならって制定された後,中国の影響を受けつつも独自の発展を遂げ,1891年の度量衡法で完成した度量衡単位系である。長さの単位の尺と質量の単位の貫を度量衡の基本としたためその名がある。構成は表1のとおりであり,その基本単位の大きさを定める基準はメートル原器とキログラム原器であった。この単位系は基本的な単位間の倍数関係がほぼ十進法によっており,単位の名称も発音しやすく,大きさも日常生活に適し,便利ではあるが,度(長さ,面積,体積),量(容量),衡(質量)の単位しかなく,また通用する地域も日本国内に限られていた。そのため経済・文化の近代化,国際化に適合しにくく,1958年12月末日をもって原則として廃止され,取引,証明に使える法定単位ではなくなった。
古代の日本で使われていた単位としては,記紀などに〈ひろ(尋)〉〈あた(咫)〉〈つか(握)〉などが見られるが,尺貫法の祖型は古代中国の度量衡制に求められ,一部に古代朝鮮の高麗法の影響があるといわれている。日本で度量衡制度が成立した時期は定かでないが,《扶桑略記》(1094・嘉保1ころ)に〈舒明天皇12年(640),始定斗升斤両〉とあり,《続日本紀》(797・延暦16)に〈大宝2年(702),始頒度量于天下諸国〉とあるところから見て,標準供給を伴う度量衡単位系の制定をみたのは7,8世紀のこととされており,701年制定の大宝令による度量衡の単位は,《令義解》などによれば,ほぼ表2のごときものであったという。
これらの単位は7世紀中国の唐令にならったものと見られているが,相違点もあり,また度,量,衡とも大小2系統あり,基準器も伝わっておらず,実際の大きさはわかっていない。東大寺所蔵の尺八などの計測から当時の大尺1尺は近代の曲尺(かねじやく)の約9寸7分であり,正倉院文書の記録などから大升1升は近代の約4合であったと推定されている。他方,質量の単位は日本を含め東洋では安定に保たれ,隋・唐以降1両は37.5g前後であったという。
大宝令以後の度量衡単位の推移も定かなことはわからないが,ほぼ次のごとくであったと考えられる。
長さの単位は,凝然(ぎようねん)(1240-1321・仁治1-元亨1)の矢立に記された目盛から判断して,奈良時代から鎌倉時代までに1尺の長さが約3/100尺(3分)伸び,それ以降はほとんど変化しなかったという。しかし,江戸時代には尺度については何の規制もなく,そのため幕末には同じく曲尺と呼ばれる尺の長さに差があった。その一つは享保尺といい,徳川吉宗が熊野の神庫から見いだした尺の写しとされ,一つは又四郎尺と呼ばれるもので,室町時代の尺工又四郎の手になるものとされ,その1尺は享保尺の1尺4厘であったという。さらに折衷尺と呼ばれるものがあり,これは伊能忠敬が1800年(寛政12)ころ日本海岸絵図の作成に当たって用いたとされ,その1尺は享保尺の1尺2厘であったという。ただし,これらの尺についてのいわれは明治初期になって現れたものであり,疑わしい点もある。
地積の単位については,段の定義に表3のような変化があった。しかし,その実際の大きさについては多くの議論があり,判然としない。
量の単位は,経済構造や社会情勢から私制枡(ます)が横行し,統一を欠いていたが,1072年(延久4)後三条天皇により〈宣旨(せんじ)枡〉が制定された。その1升の大きさは,《伊呂波字類鈔》(鎌倉時代作)の1斗枡の寸法から換算して,近世の約6合であると思われる。しかし,この宣旨枡もあまり普及せず,量の単位が全国的に一応の統一を見るのは,豊臣秀吉による京枡の制定,徳川家康による枡座の開設を経て,新京枡が制定された1669年(寛文9)以降のことである。その新京枡の1升枡の大きさは内法4寸9分平方,深さ2寸7分であり,6万4827立方分に等しい。
質量の単位には中世以降二つの系列があり,一つは上述の大宝令,延喜式によるもので,銖(しゆ),分,両,斤の系列であり,もう一つは唐の貨幣である開元通宝銭(一文銭)を質量の単位匁(もんめ)(=銭)の基準とした分,匁,貫の系列のものである。後のほうの系列は日本独特のもので,分は1/10匁,貫は1000匁である。この二つの系列の単位は1両=10匁の関係にあり,このことは《旧唐書(くとうじよ)》に〈開元通宝銭重二銖四,積十文重一両,一千文重六斤四両〉と示されている。ただし,個々の一文銭の目方には軽重があった。この匁や貫を単位とする目方の表現は16世紀以前から用いられ,その普及とともに銖,両を用いることは少なくなった。
明治時代になって度量衡制度を整備する際,尺の決定には徴税に直接関係する枡の大きさの継続性が重視され,1874年の〈大蔵省への指令〉および75年の太政官達〈度量衡取締条例並ニ検査規則種類表〉により,長さの単位についてはいわゆる折衷尺を原尺として採用,これを〈曲尺〉と呼ぶことにし,容量の単位についてはこの尺を基にして1升は6万4827立方分であるとした。この基準尺の実長は1941年の測定では30.304cmである。質量の単位は1871年制定の〈新貨条例〉によりかりに1匁=3.756521gとされた。
85年日本はメートル条約に加入したが,89年に開かれた第1回国際度量衡総会でメートル原器とキログラム原器が承認され,日本もその複製原器1組を受け取った。91年それを基準器として度量衡法が制定され,ここに尺貫法の確立をみた。その際,尺と貫はそれぞれメートル,キログラムに対し簡単な関係になるよう配慮された。
度量衡法の制定によって尺貫法が確立されたが,同時にメートル法が公認され,1909年には日本式のヤード・ポンド法も認められたため,日本では3種類の計量単位が混用される状況になった。第1次世界大戦後その錯雑さに対して産業経済や科学技術,軍事技術の面から批判が出,度量衡単位系一本化の機運が高まった。そのため21年に度量衡法が改正され,メートル法を採用し,他の単位系を一定期間後に廃止することが決められた。これに対して強い抵抗運動が起こり,その実施は順次延期されたが,51年に至って計量法が制定され,尺貫法は58年末をもって廃止された。その際,土地建物関係が除外されたが,それも66年3月末で廃止された。ただし,建築関係の製品規格は実質的に曲尺によっており,また和服の仕立てには鯨尺が便利なことから,これらの分野では現在もなお曲尺,または鯨尺目盛のものさしが道具として使われている。
→度量衡
執筆者:三宅 史
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長さの単位に尺、質量の単位に貫を基本にとった日本固有の単位系。中国古代制度を起源とするものであるが、中国の質量の基本的単位は斤で、貫は日本特有のものである。しかし斤も貫も銭(匁(もんめ))から出発する点で同系統のものとみて差し支えない。
尺は手を広げて物に当てて長さを計る形の象形文字である。したがって尺は手幅を基準にとった単位で、周代の1尺はいまの6寸程度である。この尺が時代とともに伸び、さらにいまの1尺に近い民間木工用の尺は官制の尺とは別系統の尺として発生し、民間に普及した。そこで隋(ずい)代にはこれも公定したので、いまの約8寸の小尺と、それより2寸長い大尺の2制ができた。これが唐代に引き継がれ、さらに大宝律令(たいほうりつりょう)(701)によって日本に導入された。小尺は中国でも日本でも使われなくなり、大尺はわずかに伸びて江戸時代にほぼいまの長さに落ち着いた。しかし一般用の竹木製の通称竹尺と大工用の曲尺(かねじゃく)との間に約4厘ほどの差があったので、1875年(明治8)これを平均して現在の33分の10メートルが確定した。
1貫は1000匁で、匁は中国の銭貨を意味する「泉」の草書である。これを「もんめ」とよぶのは1銭つまり1文の目方からきたもので、唐の開元通宝銭の質量が宋(そう)代に実用の単位となったからである。律令は唐制に倣って斤、両を取り入れたが、これにも大小制があり、小は大の3分の1であったが、小は使われなくなり、10匁の両と160匁の斤が普及した。しかしその大きさには律令以来変化がない。室町時代から1000匁を1貫とする習慣ができ、斤と併用されるようになった。貫は銭貨を1000枚貫いた重さからきている。これが1891年(明治24)1キログラムの4分の15と定義されて今日に至っている。これらの単位の倍量・分量の単位にも、面積や体積の単位にも変遷があったが、現在計量法施行法にあがっている尺貫法の単位は次のとおりである。
(1)長さの単位 尺(33分の10メートル)、鯨尺尺(66分の25メートル)、毛、厘、分、寸、丈、間(6尺)、町(360尺)、里(1万2960尺)。
(2)重さ(質量)の単位 貫(3.75キログラム)、毛、厘、分、斤(0.16貫)。
(3)面積の単位 平方尺、歩(ぶ)または坪(121分の400平方メートル)、平方尺、平方寸、勺、合、畝(せ)(30歩)、反(300歩)、町(3000歩)。
(4)体積(容積)の単位 立方尺、升(133万1000分の2401立方メートル)、立方分、立方寸、立坪(216立方尺)、勺、合、斗、石。
これらの単位は計量法施行法により1966年(昭和41)3月以後は取引および証明の計量には用いられないとされている。ただ匁だけは外国で真珠用に用いられているため、真珠に限って認められている。
[小泉袈裟勝]
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日本独自の計量単位系。また計量方法など計量にかかわる古来の習慣も含めていうことがある。尺は長さの単位で,十進法で毛・厘・分・寸・尺・丈と進み,6尺が1間,60間が1町,36町が1里。貫は重さの単位で,毛・厘・分・匁と進み,1貫は1000匁,1斤は160匁。明治政府は1875年(明治8)尺枡秤三器取締規則・度量衡取締条例・度量衡検査規則を公布した。これにより度量衡の製作・売り捌きには官許が必要となり,従来所持の度量衡器も検査をうけることになった。このとき,享保尺と又四郎尺を折衷した折衷尺を曲尺(かねじゃく)とし,曲尺1尺2寸5分を鯨尺(くじらじゃく)の1尺と定め,曲尺・鯨尺以外の名称を禁じた。斗量は従来どおり曲尺6万4823立方分を1升とし,重量も従来どおりとしたが,岩倉使節団が持ち帰ったフランスの原器を用いて,1匁を3.756721gと規定した。尺貫法は91年,メートル法に対応する度量衡法によって確定されたが,経済の国際化などにともない1951年(昭和26)に計量法が制定され,58年末までに一部の例外を除いて廃止された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
(今井秀孝 独立行政法人産業技術総合研究所研究顧問 / 2008年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…一方,政府は85年メートル条約に加入した。以来,国の近代化のため,枡以下の度量衡器を支えてきた尺貫法に替わり,メートル法を採用する努力を重ねてきた。その間幾多の困難はあったが,ついに1959年1月1日を期してメートル法の完全実施を断行した。…
※「尺貫法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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