江戸中期の俳人。万治(まんじ)4年4月4日、清酒「三文字(さんもんじ)」の醸造元「油屋(あぶらや)」の一族、上島宗春(うえじまむねはる)の三男として、摂州川辺郡伊丹(いたみ)郷(伊丹市)に生まれる。名は宗邇(むねちか)、通称与惣兵衛(よそべえ)。鬼貫の俳号は、和歌の貫之(つらゆき)に対する、俳諧(はいかい)の貫之をもって任じたもの。ほかに、点也(てんや)、自舂庵(じしょうあん)、囉々哩(ららり)、犬居士(いぬこじ)、馬楽童(ばらくどう)、槿花翁(きんかおう)などと号した。法名即翁(そくおう)。13歳で貞門(ていもん)の重頼(しげより)の門に入っているが、16歳のころには、すでに宗因(そういん)風の俳諧に心を寄せている。鬼貫の才能を最初に高く評価したのも宗因である。1685年(貞享2)25歳で「まことの外(ほか)に俳諧なし」と開悟したという。その「まこと」の論が詳説されているのが、俳論書『独(ひとり)ごと』(1718刊)である。「まこと」の俳諧の作品としての完成は、90年(元禄3)鬼貫30歳のおりの『大悟物狂(たいごものぐるい)』である。ほかに俳諧紀行『犬居士』、句文集『仏兄七久留万(さとえななくるま)』などの著がある。禅を思想的背景としつつも、それを「常(つね)いふ所(ところ)の言葉」で表現するのが、鬼貫俳諧の特色といえる。元文(げんぶん)3年8月2日、78歳で没した。
[復本一郎]
『岡田利兵衛編『鬼貫全集 三訂版』全1巻(1978・角川書店)』▽『桜井武次郎著『伊丹の俳人上嶋鬼貫』(1983・新典社)』
江戸前期の俳人。姓は上島(本姓藤原,晩年は平泉),幼名竹松,長じて利左衛門宗邇(むねちか)。通称は与惣兵衛。囉々哩(ららり)・馬楽童・槿花翁などの別号がある。伊丹の酒造家油屋の上島宗春の三男。少年のころから俳諧を好み,維舟・宗旦・季吟・宗因らに批評を請い,会席に列して指導を受けた。初入集は1676年(延宝4)の維舟撰《武蔵野》。翌々年《当流籠抜(とうりゆうかごぬけ)》に伊丹派の五吟五百韻を発表し,古風俳人から〈狂乱体〉と難ぜられた。85年(貞享2)大坂に出て学問修業に努めた。自伝を交えた俳論《独(ひとり)ごと》によると,〈まことの外に俳諧なし〉と悟ったのは,88年であろう。その後,擬態語など俗語を用いる平明な俳風に移り,90年(元禄3),《大悟物狂(たいごものぐるい)》を撰ぶ。遠祖は藤原秀郷(ひでさと)(俵藤太)といい,鬼貫には武士として立とうという願いが強くあった。そのため,筑後三池藩(1687-89),大和郡山藩(1691-95),越前大野城主土井甲斐守家(1708-12?)に仕え,藩政改革などにあたる。《藤原宗邇伝》は武士としての自伝で,俳事については伝えない。主に,1685-95年は大坂,1695-1703年は伊丹,1703-18年は京,以後再び大坂に住み,惟然,支考らの蕉門俳人とも交わった。〈によつぽりと秋の空なる富士の山〉(《大悟物狂》)。
執筆者:桜井 武次郎
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…79年(延宝7)幕府代官の美濃国小物成(こものなり)場の検地に協力し,85‐86年(貞享2‐3)下総国匝瑳(そうさ)郡と三河国賀茂郡の旗本領で検地を担当し,ついで元禄初年には上総国大多喜,下総国高岡の2小藩の財政立直しを請け負ったという。93年(元禄6)からは大和国郡山藩の財政改革を,俳人鬼貫(おにつら)こと上島与惣兵衛と競争して勝利し,4割から8割に至るまでの租率大幅引上げを実現している。その3,4年後には旗本松下彦兵衛家の家政立直しを成功させ,実現はしなかったが摂津国高槻藩も彼を採用しかけた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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