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鳥潟右一 とりがたういち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鳥潟右一
とりがたういち

[生]1883.4. 秋田
[没]1923.6.5. 東京
電気工学者。日本における無線電信電話の開拓者。東京大学工科卒業 (1906) 。逓信省電気試験所に入り (のち所長となる) ,1911年鉱石検波器を発明,14年横山技師,北村技手の協力を得て TYK式無線電話機を開発した。 16年伊勢湾の海上通話に成功,世界で初めて無線電話を実用化し,同年帝国学士院賞を受賞した。

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デジタル大辞泉の解説

とりがた‐ういち【鳥潟右一】

[1883~1923]通信工学者。秋田の生まれ。逓信技師。日本の無線電信電話の技術を世界的水準に高め、鉱石検波器などを完成。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鳥潟右一 とりがた-ういち

1883-1923 明治-大正時代の電気工学者。
明治16年4月25日生まれ。逓信省電気試験所にはいり,明治42年鉱石検波器を発明。45年横山英太郎,北村政治郎とともにTYK無線電話を完成,国際的な評価をうけた。のち電気試験所所長。大正5年学士院賞。大正12年6月5日死去。41歳。秋田県出身。東京帝大卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

鳥潟右一

没年:大正12.6.5(1923)
生年:明治16.4.25(1883)
明治大正期の電気技術・無線通信のリーダー。秋田県生まれ。東京帝大電気工学科を卒業し,逓信省電気試験所に入った。明治42(1909)年から翌年まで欧米に派遣され,帰国後に研究に重点を置くことを唱えて電気試験所第2部研究会を創設。同会はのち電信電話学会となり,今日の電子情報通信学会になった。45年には電気試験所の横山英太郎,北村政治郎とTYK式無線電話を発明した。これは火花方式であったのでその後の真空管式の登場によってすたれたが,わが国における無線電話の実用の最初であった(大正5年から公衆電報の中継用に三重県で使用)。無線,放送の将来を洞察し,搬送電話を着想し,また家庭電化を鼓吹した。工業教育会を組織して夜学の東京工学校を設立し,雑誌『現代之電気』を発刊するなど電気工学に関する教育,普及にも力を尽くしたが,電気試験所長在任中に41歳の若さで亡くなった。<参考文献>横山英太郎編『鳥潟博士と無線研究60年の歩み』

(高橋雄造)

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大辞林 第三版の解説

とりがたういち【鳥潟右一】

1883~1923) 日本における無線通信技術の開拓者。秋田県生まれ。鉱石検波器を発明。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鳥潟右一
とりがたういち
(1883―1923)

電気工学者。秋田県に生まれる。1906年(明治39)東京帝国大学電気工学科を卒業し、逓信省(ていしんしょう)電気試験所に入り、浅野応輔(おうすけ)初代所長の下で無線電信電話の研究を行う。1912年(大正1)には横山英太郎(1883―1966)、北村政治郎(きたむらまさじろう)とともに、毎秒数万回の火花放電を行う微小火花間隙(かんげき)によるTYK無線電話機を完成した。この発明は、2年後にマルコーニ社で公開実験が行われるほど世界中から高く評価された。TYK式は1916年に日本最初の無線電話として逓信省により鳥羽(とば)―神島―答志島(とうしじま)間で実用化された。1919年には、真空管を用いた無線電話の研究を進めるなかで搬送式電話を発明した。1920年電気試験所所長に就任。[田中國昭]

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