答志島(読み)トウシジマ

デジタル大辞泉 「答志島」の意味・読み・例文・類語

とうし‐じま〔タフシ‐〕【答志島】

三重県東部、鳥羽市北東部にある島。鳥羽湾中最大の島。面積7.2平方キロメートル。平地が少なく丘陵地がほとんどで、最高地点は167メートル。海女あまによるアワビサザエワカメ採集、真珠・ノリハマチ養殖が盛ん。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「答志島」の意味・わかりやすい解説

答志島
とうしじま

三重県中東部、伊勢(いせ)湾口にある島。鳥羽市(とばし)に属す。伊勢湾口に並ぶ島列中の最大で、面積6.98平方キロメートル、東西約5キロメートル、南北約1.5キロメートルの細長い島で最高点は167メートル。丘陵地が多く平坦(へいたん)地に乏しい。古くは手節(たぶし)、塔志とも書かれた。答志、桃取(ももとり)の2村に分かれていたが、1954年(昭和29)鳥羽市の一部となった。アワビ、サザエ、海藻とりの海女(あま)漁と、イカナゴのバッチ網漁、ワカメ養殖が主産業。島のおもな集落は3か所で、鳥羽佐田浜港から桃取、和具、答志まで市営定期船が運航されている。桃取と答志を結ぶ道路は答志スカイラインとよばれて展望がよい。伊勢志摩国立公園(いせしまこくりつこうえん)域で民宿も多く、サンシャインビーチなどの海水浴場があり、磯(いそ)釣りなどで知られる。戦国の武将九鬼嘉隆(くきよしたか)が自刃した地で島内に首塚胴塚が残る。人口2694(2009)。

[伊藤達雄]


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改訂新版 世界大百科事典 「答志島」の意味・わかりやすい解説

答志島 (とうしじま)

三重県東部,鳥羽湾中最大の島。鳥羽市に属する。面積7km2。東方海上には属島の大中山島,大築海(おつくみ)島,小築海(こつくみ)島がある。古くは手節(たふし),塔志と書かれ,朝廷への海産物の貢納地として知られた。海岸部に答志,和具,桃取の集落があって水産業を生業とし,海女による採貝,採藻のほか,真珠養殖も行われる。古墳が多く,島で最大の岩屋ヶ原古墳は標高約130mの山頂にある。中世に九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆自害の地で,首塚と胴塚がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「答志島」の意味・わかりやすい解説

答志島
とうしじま

三重県東部,伊勢湾の湾口部にある島。鳥羽市に属する。周囲約 26.3km。東西に細長く,東に答志,西に桃取の2地区 (旧村) がある。周辺は沿岸漁業の好漁場で,海女によるアワビ,サザエ,ワカメなどの採取,揚繰網漁が行われる。南岸の長者ヶ浜は海水浴場として知られ,築上山頂には九鬼水軍で有名な鳥羽城主九鬼嘉隆の首塚がある。伊勢志摩国立公園に属する。面積 7.85km2。人口 2981 (2000) 。

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百科事典マイペディア 「答志島」の意味・わかりやすい解説

答志島【とうしじま】

三重県鳥羽市,市街北東方に浮かぶ島。面積6.96km2。柿本人麻呂の詠んだ〈手節の埼〉とされ,江戸時代には船250を数え,タイ・ワカメ・アワビなどを納めた。東端に答志,西端に桃取の2集落があり,カタクチイワシ漁,海女(あま)によるワカメ,アワビの採取,ノリ・ハマチ養殖を営む。桃取崎付近は海水浴場。鳥羽港から船便がある。
→関連項目伊勢志摩国立公園鳥羽[市]

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