鳩山秀夫(読み)ハトヤマ ヒデオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「鳩山秀夫」の解説

鳩山 秀夫
ハトヤマ ヒデオ


肩書
衆院議員(立憲政友会),東京帝大教授

生年月日
明治17年2月7日

出生地
東京

学歴
東京帝大法科〔明治41年〕卒

学位
法学博士〔大正6年〕

経歴
明治41年東大講師、43年助教授。44年〜大正3年欧州留学。5年教授となり民法講座担当。10、11年に国際連盟総会随員として参加。15年辞職して弁護士に転じ、昭和7年千葉2区から衆院選に当選した。ドイツ民法学の論理を用いて日本民法を体系づけ、著書に当時の学界に大きな影響を与えた「日本債権法総論」「日本債権法各論」(全2巻)や「日本民法総論」などがある。

没年月日
昭和21年1月29日

家族
父=鳩山 和夫(衆院議長) 母=鳩山 春子(共立女子大創立者) 兄=鳩山 一郎(首相)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「鳩山秀夫」の意味・わかりやすい解説

鳩山秀夫 (はとやまひでお)
生没年:1884-1946(明治17-昭和21)

民法学者。1908年東京帝国大学法科大学を卒業,同講師となり,10年助教授。ドイツ,フランスに留学の後,16年教授に昇任し,民法講座を担任した。26年,42歳の若さで退官して弁護士を開業以後は学問的活動から退いた。のちに衆議院議員となったこともある。ドイツ民法学の概念・論理を用いて日本民法を解釈し,体系化することに努めてこれを完成させ,現在の民法学の源流を形成した一人と認められている。著書《日本債権法総論》(1918),《日本債権法各論》2巻(1920)は,名著として知られ,当時の学界・実務界に大きな影響を与えた。このほかに,《法律行為乃至時効》(1910),《日本民法総論》(1923),《債権法における信義誠実の原則》(1924)などがある。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「鳩山秀夫」の解説

鳩山 秀夫
ハトヤマ ヒデオ

大正・昭和期の民法学者,弁護士 東京帝大教授;衆院議員(立憲政友会)。



生年
明治17(1884)年2月7日

没年
昭和21(1946)年1月29日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大法科〔明治41年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔大正6年〕

経歴
明治41年東大講師、43年助教授。44年〜大正3年欧州留学。5年教授となり民法講座担当。10、11年に国際連盟総会随員として参加。15年辞職して弁護士に転じ、昭和7年千葉2区から衆院選に当選した。ドイツ民法学の論理を用いて日本民法を体系づけ、著書に当時の学界に大きな影響を与えた「日本債権法総論」「日本債権法各論」(全2巻)や「日本民法総論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳩山秀夫」の意味・わかりやすい解説

鳩山秀夫
はとやまひでお
(1884―1946)

民法学者、弁護士、政治家鳩山和夫次男。1908年(明治41)東京帝国大学法科卒業。1910年同助教授となる。1911年ヨーロッパに留学し、ボンベルリンパリで学ぶ。1914年(大正3)帰国。1916年教授となり、民法講座を担当。1926年教授を辞して弁護士を開業、1932年(昭和7)には衆議院議員となる。学風はドイツ法学の影響を強く受け、その輸入に貢献があった。主著に『日本民法総論』『日本債権法総論』など。

[淡路剛久]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳩山秀夫」の解説

鳩山秀夫 はとやま-ひでお

1884-1946 大正-昭和時代前期の民法学者。
明治17年2月7日生まれ。鳩山和夫の次男。鳩山一郎の弟。大正5年母校東京帝大の教授。ドイツ民法学をもとに日本民法の解釈学を体系化し,学界を主導した。15年義弟の末弘厳太郎(いずたろう)らに学説を批判され辞職し,弁護士となる。昭和7年衆議院議員(政友会)。昭和21年1月29日死去。63歳。東京出身。著作に「日本債権法総論」など。

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百科事典マイペディア 「鳩山秀夫」の意味・わかりやすい解説

鳩山秀夫【はとやまひでお】

民法学者。東京都出身。鳩山一郎の弟。東大教授。早期退官後,一時衆議院議員となった。ドイツ民法学の研究,特に〈取引の安全〉の法原理を進展させて,それを日本の民法典に即してとりいれ,民法解釈学に画期的な貢献をした。著書《日本債権法》《日本民法総論》。

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367日誕生日大事典 「鳩山秀夫」の解説

鳩山 秀夫 (はとやま ひでお)

生年月日:1884年2月7日
大正時代;昭和時代の民法学者;政治家。東京帝国大学教授;衆議院議員(立憲政友会)
1946年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鳩山秀夫の言及

【河野一郎】より

…42年の翼賛選挙では非推薦で当選した。戦後は,45年日本自由党結成に参画,鳩山一郎総裁の下に初代幹事長となったが,翌46年鳩山とともに公職追放された。51年追放解除後,鳩山を擁して吉田茂長期政権打倒の争いを続け,54年末鳩山一郎内閣を実現させ,農相に就任。…

【自由党】より

…これらの吉田内閣を支えたのが自由党であり,党名は日本自由党,1948年3月に民主自由党(民自党),50年3月に自由党へと変遷した。 1945年11月9日,鳩山一郎を総裁とし,幹事長を河野一郎とする日本自由党が結党された。1週間遅れて結党された日本進歩党が大日本政治会の多数を結集し旧政党復活の印象を与えたのに対し,自由党は旧政党人であっても翼賛体制下における反東条派を結集する姿勢を示し,西尾末広など社会民主主義者の一部をも包含する動きを見せた。…

【保守合同】より

…1952年4月のサンフランシスコ講和発効後,政界に復帰した追放解除者と戦後派保守政治家との対立がしだいに表面化した。占領軍による覚書追放者鳩山一郎と,彼の後継者の自由党総裁吉田茂の確執はその象徴である。鳩山のほか三木武吉,河野一郎,石橋湛山らは53年3月分党派自由党を結成したが,4月総選挙では吉田派199名に対し35名と振るわず,11月鳩山ら多数は自由党に復党,三木,河野ら8名は日本自由党に改組して吉田と対立した。…

※「鳩山秀夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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