〈かしま〉という地名は,鹿島,神島と表記され,全国的に分布しているが,共通するのは,海辺に近く,海と陸地との接点あるいは境界領域に位置していることである。陸地のさいはての地域あるいは最先端の場所と意識されている。その中でも茨城県鹿島地方は,古代より,大和朝廷を中心とした畿内の地域からみると,東国の涯(はて)とみなされていた。そうしたイメージを基礎として,鹿島には二つの民俗信仰が形成された。一つは,鹿島の地にさまざまの漂着神がたどりつき霊力を発揮したというものである。鹿島・香取神宮の祭神や,大洗磯前(いそざき)明神をはじめ,大小の漂着神をまつる神社が,鹿島とその周辺地域にまつられている。近世初期に,弥勒の舟がこの地に着き,ミロクの世が出現するという信仰も広まっていた。これは,鹿島神宮の大物忌と称する巫女王の託宣による予言が基礎となっている。鹿島の事触(ことふれ)たちが,鹿島の予言を東日本の各地に伝播させていったときに,救い主弥勒の乗った船の到来も告げられたのである。弥勒仏の到来を鑽仰(さんぎよう)する弥勒踊は,現在も鹿島地方に濃厚に分布している。さらに鹿島の神が流行病などの災厄を払ってくれることを説いた鹿島踊も派生しており,鹿島踊と弥勒踊は,伝播する過程で習合した形で地域社会に受容された。
第2に,鹿島の地に,さまざまの災厄を追い払おうとする鹿島送りの信仰が展開した。鹿島送りは,東日本の各地にみられる人形送りの民俗である。6~7月ごろに集中しているが,等身大の人形を作り,この人形を中心に行列を作り,村中を練りまわった後,人形を浜辺か川辺で流してしまう。このとき人々が踊った踊りが,形式化して鹿島踊となったらしい。人形は災厄がこめられた悪神であり,この悪神を,現世の周縁部にあたる鹿島の地へ送りこむという神送りの形式を示している。災厄を送り出す代りに幸運をもたらしてくれる,そうした境の両義的性格が鹿島信仰の特徴といえる。
→鹿島踊 →鹿島神宮 →弥勒信仰
執筆者:宮田 登
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鹿島大神(おおかみ)および鹿島神社に対しての信仰。常陸(ひたち)(茨城県)の鹿島神宮を中心として、福島県、宮城県の海岸地帯など全国的に広がっている。鹿島大神は元来は航海の守護神であったらしいが、別に武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)といわれ、武事をつかさどる神として朝廷の厚い崇敬を受けた。また、藤原氏が当地へ勢威を伸ばしてくると、その氏神として尊崇された。当地は東国開拓の重要な根拠地にあったので、分祠(ぶんし)である鹿島御児(みこ)神社が海岸沿いに祀(まつ)られ、その分布により大和(やまと)朝廷の北進の跡を知ることができる。後世、鹿島信仰が普及した事由の一つは、これを民間に広めた神人(じにん)集団がいたからである。彼らは、鹿島神宮にいた「物忌(ものいみ)」とよばれる巫女(ふじょ)の託宣を民間に伝えて歩いた。これが「鹿島の事触(ことぶ)れ」の始まりである。事触らは烏帽子(えぼし)に浄衣(じょうえ)を着て幣帛(へいはく)を担ぎ、稲作の豊凶などを告げて民間を巡回したが、のちには悪霊退散の歌舞を行い、鹿島送り、鹿島流し、鹿島人形、鹿島踊などの宗教習俗や神事芸能を流布せしめた。
[三橋 健]
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