日本歴史地名大系 「麻生郷」の解説
麻生郷
あそうごう
「和名抄」の和泉郡
建武元年(一三三四)のものと推定される高野山丹生社神主竈戸恒信言上状(高野山文書)によると、元弘元年(一三三一)一一月一六日、高野山居住の沙弥道阿が麻生郷を後醍醐天皇の尊崇する高野山丹生明神社に寄進している。
麻生郷
あそうごう
麻生郷
あそうごう
- 大分県:中津市
- 麻生郷
古代麻生郷(和名抄)の系譜を引く中世郷。文保二年(一三一八)五月日の宇佐宮神官実世申状(永弘文書)に「下毛郡麻生郷藍原屋敷弐ケ所」とあり、野仲道雄や妙法寺円証らの押領をうけていた。建武元年(一三三四)二月九日の沙弥円証置文(湯屋文書)にも「下毛郡麻生郷内御神領弥勒寺御領内野仲郷(中略)於御神領者、藍原并弥勒寺御領」とみえ、次男実平が庶子の協力をえて社役を勤むべきことが定められており、現
麻生郷
あそうごう
麻生郷
あそうごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報