黒沢翁満(読み)クロサワオキナマロ

デジタル大辞泉 「黒沢翁満」の意味・読み・例文・類語

くろさわ‐おきなまろ〔くろさは‐〕【黒沢翁満】

[1795~1859]江戸後期の国学者伊勢の人。名は重礼。号、葎居むぐらい桑名城主松平氏の家臣本居宣長もとおりのりなが門弟。著「言霊指南ことだまのしるべ」「葎居集」など。

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精選版 日本国語大辞典 「黒沢翁満」の意味・読み・例文・類語

くろさわ‐おきなまろ【黒沢翁満】

  1. 江戸後期の国学者、歌人通称八左衛門。号葎居。伊勢の人。本居宣長の門弟。桑名藩に仕え、大坂に住む。歌風は平明素朴。著に「万葉集大全」「言霊指南(ことだまのしるべ)」「神楽催馬楽抄」、家集「葎居集」など。寛政七~安政六年(一七九五‐一八五九

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朝日日本歴史人物事典 「黒沢翁満」の解説

黒沢翁満

没年:安政6.4.19(1859.5.21)
生年:寛政7(1795)
江戸後期の国学者,歌人。桑名藩(三重県)藩士重孝の長男。通称九蔵,八左衛門。名重礼。屋号葎居。藩士としては,文化4(1807)年,13歳で出仕。文政6(1823)年,29歳のとき藩主松下忠尭の国替に従って武蔵国忍(埼玉県行田市)に移住。50歳のころから藩財政を掌握し,大坂蔵屋敷に勤めた。文業の面では,幼年のころから才気煥発で狂歌戯作を好み,山東京伝を慕ったが,20歳のとき,手紙によって京伝に諫められ,国学に志した。賀茂真淵を尊敬し,自邸にその霊を祀って道祖命と名付け朝夕礼拝したという。青年期に相当量の国書を読破し,独学で国学者,歌人としての地位を築いた。大坂勤めの際には伊勢にも立ち寄り,そのために大坂と伊勢の門人が多い。家集に伊勢の門人らが編んだ『葎居前集』(1857)のほか,『葎居後集』『葎居集』がある。著書作文,古典注釈,語学,随筆など多岐多数。奇書とされる艶書『藐姑射秘言』もある。趣味広く,酒を好んで嗜んだ。墓所は大坂口縄坂の珊瑚寺。<参考文献>渡辺刀水「黒沢翁満」(『渡辺刀水集2』日本書誌学大系47の2)

(飯倉洋一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒沢翁満」の解説

黒沢翁満 くろさわ-おきなまろ

1795-1859 江戸時代後期の国学者。
寛政7年生まれ。伊勢(いせ)(三重県)桑名藩士だったが,文政6年国替えにより武蔵忍(おし)藩(埼玉県)にうつる。晩年は大坂留守居役。賀茂真淵(かもの-まぶち)に私淑して独学で国学を研究。和歌にすぐれたほか,古典注釈,言語論などでおおくの著書をあらわした。安政6年4月29日死去。65歳。名は重礼。通称は八左衛門。別号に葎居(むぐらい)。著作に「古今集大全」「言霊のしるべ」など,家集に「葎居集」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒沢翁満」の意味・わかりやすい解説

黒沢翁満
くろさわおきなまろ

[生]寛政7(1795).桑名
[没]安政6(1859).4.29. 大坂
江戸時代後期の国学者。通称は八左衛門。名は重礼。号は葎居。桑名藩に仕え,晩年は大坂留守居役。本居宣長に私淑。主著『神道学則』『万葉集大全』『言霊 (ことだま) 鈔』『藐姑射秘言 (はこやのひめごと) 』。

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