茨城県南部にある市。1954年(昭和29)龍ケ崎町と馴柴(なれしば)、八原(やはら)、長戸(ながと)、大宮(おおみや)、川原代(かわらしろ)、北文間(きたもんま)の6村が合併して市制施行。小貝(こかい)川、鬼怒(きぬ)川(現在は西方の守谷(もりや)市で利根(とね)川に合流)下流の自然堤防と沖積地よりなる平野で、北側に稲敷(いなしき)台地の一部があり、温和な気候をもつ。JR常磐(じょうばん)線(龍ケ崎市駅)、関東鉄道竜ヶ崎線、国道6号が通じる。古代は河内(かっち)郡に属し、中世は龍崎氏(りゅうがさきうじ)、のち土岐(とき)氏の所領で、この時代に市街地の基礎ができた。市街は1606年(慶長11)以降仙台藩領。江戸時代初期に小貝、鬼怒両川が分流され、小貝川河道も西方に移されて米作農業が発展した。畑は自然堤防に多く、明治時代にワタ(龍ケ崎木綿)からクワ(養蚕)へ、第二次世界大戦後は野菜類へと作目(さくもく)が変化した。龍ケ崎はこの地方の中心商業町である。大戦中に軍需工場が立地し、これを契機として近代工業が発達、つくばの里工業団地も造成され(1989)、機械、金属、電気器具、食品などの業種が進出している。都心に近く位置し、住宅・都市整備公団(現、都市再生機構)の竜ヶ崎ニュータウン(1981年入居開始)が大規模に造成され、流通経済大学(1965年創立)もあり、人口が急増して住宅都市化した。遊覧飛行ができる龍ケ崎飛行場があり、牛久沼は釣りや散策が楽しめる。新田義貞(にったよしさだ)の廟所(びょうしょ)金龍寺(きんりゅうじ)に国指定重要文化財の絹本着色十六羅漢像がある。面積78.59平方キロメートル、人口7万6420(2020)。
[櫻井明俊]
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