龍華院(読み)りゅうげいん

精選版 日本国語大辞典 「龍華院」の意味・読み・例文・類語

りゅうげ‐いん‥ヰン【龍華院】

  1. 群馬県沼田市上発知町にある曹洞宗の寺。山号迦葉山。嘉祥元年(八四八葛原親王開創開山円仁迦葉尊者出現の霊地として名高い。お天狗さま。中峰さま。

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日本歴史地名大系 「龍華院」の解説

龍華院
りゆうげいん

[現在地名]沼田市上発知町

沼田市北方、迦葉かしよう(一三二二・四メートル)の南面中腹にあり、迦葉山龍華院弥勒寺といい曹洞宗。本尊は観世音菩薩。寺蔵の迦葉山縁起によれば嘉祥元年(八四八)葛原親王が開基となり、延暦寺の円仁を開山に迎え迦葉山山頂に一宇を建立したのが始まりと伝える。その後、相模国最乗さいじよう(現神奈川県南足柄市)の五世舂屋宗能に師事し、明応七年(一四九八)当院で没した慶順(天巽)が当地に来た折に、時の当院住職慈運は慶順に帰依した。


龍華院
りゆうげいん

[現在地名]掛川市掛川 郭内

天王てんのう山にある天台宗寺院。山号は長松山、本尊は阿弥陀如来半僧はんぞう坊、「おたまや」ともよばれるが、現在は境内に県指定文化財の大猷院霊屋(附春日厨子)が残るのみ。明暦二年(一六五六)掛川藩主北条氏重は幕府に願出て、掛川城の鬼門にあたる天王山に三代将軍徳川家光の位牌を祀る大猷院霊廟を造営して龍華院とよび(「前天台座主綸旨」龍華院文書)、灯明料一五〇石を寄進し、上野寛永寺より守僧を招いて藩主の祈願所とした(「掛川誌稿」など)。当時は徳川霊廟祭と掛川藩守護祈願のみ行って葬儀はいっさい行われず、したがって檀徒もなく、寺院の修理はいっさい藩主が行い、祭日以外は町人農民参詣は許されなかったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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