メーリング(英語表記)Walter Mehring

デジタル大辞泉 「メーリング」の意味・読み・例文・類語

メーリング(Franz Mehring)

[1846~1919]ドイツ社会主義者歴史家・文芸理論家。1891年、社会民主党に入党、機関誌新時代」の編集を担当。マルクス主義理論家として党左派に属し、のちスパルタクス団共産党の結成に参加した。著「ドイツ社会民主主義史」など。

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精選版 日本国語大辞典 「メーリング」の意味・読み・例文・類語

メーリング

  1. ( Franz Mehring フランツ━ ) ドイツの社会主義者。マルクス主義理論家、歴史家。一八九一年社会民主党に入党。党左派に属し、スパルタクス団の結成に参加した。主著「ドイツ社会民主党史」「ドイツ史」。(一八四六‐一九一九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーリング」の意味・わかりやすい解説

メーリング(Franz Mehring)
めーりんぐ
Franz Mehring
(1846―1919)

ドイツの社会主義者、歴史家、文芸理論家。元将校の収税吏の子としてポンメルンのシュラーベに生まれる。ライプツィヒベルリン両大学で言語学を学び、民主主義的なジャーナリストとして活動したのち、1891年ドイツ社会民主党に入党。党機関誌『ノイエ・ツァイト』(新時代)の執筆者となり、1892年同誌に連載した『レッシング伝説』によって理論家としての地位を確立した。1902~1907年『ライプツィヒ民衆新聞』の編集長として修正主義を激しく攻撃し、第一次世界大戦中もローザ・ルクセンブルクらと協力して反戦運動を継続。『インテルナチオナーレ』誌の発行、スパルタクス団の結成に重要な役割を果たし、大戦後にはドイツ共産党の創立に加わった。しかし1919年1月、病臥(びょうが)中にルクセンブルク、カール・リープクネヒト虐殺の報を受け、その落胆もあって同月28日死去した。『ドイツ社会民主主義史』は代表的著作。

[松 俊夫]

『足利末男他訳『ドイツ社会民主主義史』上下(1968、1969・ミネルヴァ書房)』


メーリング(Walter Mehring)
めーりんぐ
Walter Mehring
(1896―1981)

ドイツの詩人、劇作家。ベルリン生まれ。表現主義から出発し、第一次世界大戦後はベルリン・ダダ運動の闘士として、ラジカルな左翼系の「政治キャバレー」を開く。『異端者の祈祷(きとう)』(1921)、戯曲『ベルリンの商人』(1929)など、風刺的なシャンソンや脚本で、ドイツの右傾化、インフレの世相、市民的モラルを痛罵(つうば)した。ナチスの手を逃れ、フランス、のちアメリカに亡命。戦後はスイスに住みながら、回想録スタイルの文芸論『失われた文庫』(1952)、『呪(のろ)われた絵画』(1958)を著した。

[幅 健志]

『野村太郎訳『呪われた絵画』(1962・美術出版社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「メーリング」の意味・わかりやすい解説

メーリング
Walter Mehring
生没年:1896-1981

ワイマール時代のベルリンの代表的なキャバレー(文芸寄席)のシャンソン作家。ゲオルゲ・グロスの素描に触発されてダダイストとなり,第1次大戦後に新発足したキャバレー〈シャル・ウント・ラウホSchall und Rauch〉の演目のために,軽快なジャズ・テンポのシャンソンを作詞して,新時代の痛烈なダダ・ソングの旗手となった。以後〈ウィルデ・ビューネWilde Bühne〉や〈グレーセンワーンGrössenwahn〉など代表的なベルリンのキャバレーのために《ベルリン同時性》《船乗りのコラール》等のヒット作を書いたが,しだいに政治的風刺性・攻撃性を強め,《鉤十字の歌》やE.トラーの《どっこい生きてる》(1927)のための劇中ソングを作り,ピスカートルの左翼演劇《ベルリンの商人》(1929)の台本を書いた。ユダヤ人としてナチス時代には亡命を余儀なくされ,ほとんど忘れ去られたが,グロスの素描のような時代風刺の鋭さが近年再評価されて復活した。
執筆者:


メーリング
Franz Mehring
生没年:1846-1919

ドイツのマルクス主義文筆家。大学卒業後,ブルジョア左派のジャーナリストとして活動。社会主義者鎮圧法の時期に意見を変え,1891年,ドイツ社会民主党に入党,《マルクス,エンゲルス,ラサール遺稿集》(1902)の編集に当たり,名著《社会民主主義の歴史》4巻(第2版1903-04)を書いた。党内では左派の論客として活躍,カウツキーの《ノイエ・ツァイトDie Neue Zeit》に協力,《ライプチヒ民衆新聞》の編集を行った。第1次世界大戦中は,スパルタクス・グループに属した。《レッシング伝説》(1893),《ドイツ史》(1910-11),《マルクス伝》(1918)など文芸・歴史に関する著書も多い。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーリング」の意味・わかりやすい解説

メーリング
Mehring, Franz

[生]1846.2.27. シュラーベ
[没]1919.1.29. ベルリン
ドイツの歴史家,文芸評論家。ベルリン大学,ライプチヒ大学で文献学を修め,ジャーナリストとなる。 1878年以降ビスマルクの社会主義者鎮圧法に反対し,89年以降マルクス主義者として社会民主党の機関誌『ノイエ・ツァイト』の編集に参加,政治的主張を展開した。ドイツ共産党の前身スパルタクス団の主要メンバー。『ドイツ社会民主党史』 Geschichte der deutschen Sozialdemocratie (4巻,1897~98) をはじめ,歴史や社会主義に関する多くの著述があるが,文学の領域では『レッシング伝説』 Lessing Legende (93) が,マルクス主義文学研究の古典といわれている。

メーリング
Mering, Joseph, Freiherr von

[生]1849.2.28. ケルン
[没]1908.1.5. ハレ
ドイツの医師,生理学者,薬理学者,実験病理学者。ストラスブールで医師となり,1890年ハレに移り,1900年に病院長となった。 O.ミンコフスキーとの共同研究でイヌの膵臓を摘出すると糖尿病の症状が生じることを発見。これがのちのインスリンの発見につながった。次いで鎮痛鎮静剤の研究に手を染め,E.フィッシャーと協力して鎮静・催眠剤のバルビタールを開発した。

メーリング
Mehring, Walter

[生]1896.4.29. ベルリン
[没]1981.10.3. チューリヒ
ドイツの詩人,劇作家。表現主義の抒情詩人として出発し,やがてダダにいたる。仮借ない政治的風刺詩を書き,ナチス時代はフランス,アメリカで亡命生活をおくった。詩集のほか,戯曲『ベルリンの商人』 Der Kaufmann von Berlin (1929) ,回想記『ベルリン・ダダ』 Berlin-Dada (59) などがある。

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百科事典マイペディア 「メーリング」の意味・わかりやすい解説

メーリング

ドイツの社会主義者。1891年ドイツ社会民主党に入党し,党機関紙《ライプチヒ民衆新聞》の主筆となった。党左派に属し,のちスパルタクス団ドイツ共産党の結成に参加。《社会民主主義の歴史》のほか文学理論の著書もある。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「メーリング」の解説

メーリング
Franz Mehring

1846~1919

ドイツの社会主義者。1891年社会民主党に入党,機関誌の編集にあたった。党左派に属し,スパルタクス団および共産党の設立に参加した。『ドイツ社会民主主義史』全4巻(97~98年)のほか,文学,哲学,歴史関係の著作多数。

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