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フィッシャー Fischer, Aloys

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フィッシャー
Fischer, Aloys

[生]1880.4.10. フルト
[没]1937.11.23. ミュンヘン
ドイツの哲学者,教育学者。 1918年ミュンヘン大学教授。現象学の立場に立ち,教育学,社会学の著述がある。主著『社会の心理学』 Psychologie der Gesellschaft (1922) ,『教育学的社会学』 Pädagogische Soziologie (31) 。

フィッシャー
Fischer, Bobby

[生]1943.3.9. アメリカ合衆国,イリノイ,シカゴ
[没]2008.1.17. アイスランド,レイキャビーク
アメリカ合衆国生まれのチェス世界チャンピオン。本名 Robert James Fischer。6歳でチェスを習いはじめ,16歳のとき,ゲームに専念するために高校を中退した。 1957年全米チャンピオン,1958年 15歳でグランドマスターの称号を得,史上最年少記録を樹立した。 1971年世界選手権大会挑戦者決定戦を圧倒的な強さで勝ち抜き,翌 1972年ボリス・スパスキーを7勝3敗 11和 (引き分け) で破り世界チャンピオンの栄冠を獲得,賞金 15万 6000ドルを手にした。 1975年のタイトル防衛戦を放棄してアナトリー・カルポフに王座を譲り,信仰生活に身を投じた。 1992年,アメリカが経済制裁を課していたユーゴスラビアの大会で現役復帰を果たしたが,アメリカから制裁違反の罪で起訴され,国外に逃れた。 2004年日本で出入国管理及び難民認定法違反で拘束されたが,2005年市民権を与えたアイスランドに送還された。

フィッシャー
Fischer, Edwin

[生]1886.10.6. バーゼル
[没]1960.1.24. チューリヒ
スイスのピアニスト,指揮者。バーゼル音楽院に学び,のちベルリンで M.クラウゼにピアノを師事。 1905~14年母校ベルリンのシュテルン音楽院教授,のちベルリン高等音楽学校教授,26年リューベック音楽協会指揮者,28~30年ミュンヘン・バッハ協会指揮者となった。その後ベルリンでフィッシャー室内管弦楽団を組織し,指揮者,ピアニストの2役で成功した。第2次世界大戦後は,スイスを中心にピアニストとして活躍,またバイオリンの W.シュナイダーハン,チェロの E.マイナルディとのトリオ演奏でも活躍。

フィッシャー
Fischer, Emil Hermann

[生]1852.10.9. アウスキルヘン
[没]1919.7.15. ベルリン
ドイツの有機化学者。ボン大学で F.ケクレに,シュトラスブルク大学で A.バイヤーに師事。ミュンヘン大学講師 (1879) ,エルランゲン (82) ,ウュルツブルク (85) ,ベルリン (92) 各大学教授。 1881年尿酸,キサンチン,カフェイン,テオブロミンのようなプリン化合物の研究を手がけた。 83年から糖の研究を開始。フラクトース,グルコース,その他多くの糖の分子構造を決定し,フェニルヒドラジンを用いて合成し,立体構造を実証した。糖の分解酵素を研究して糖の化学構造と酵素との関係を示した。さらに,蛋白質を分解して多くのアミノ酸を得,その構造を決定,合成した。その後タンニンの研究を手がけた。糖とプリンの合成研究の業績により,1902年ノーベル化学賞を受賞した。

フィッシャー
Fischer, Engelbert Lorenz

[生]1845
[没]1923
ドイツの哲学者。新スコラ哲学の立場に立つカトリックの哲学者。

フィッシャー
Fischer, Eugen

[生]1874.6.5. カルルスルーエ
[没]1967.7.9. フライブルク
ドイツの人類学者。ベルリン大学人類学教授兼カエサル・ウィルヘルム人類学・遺伝学・優生学研究所所長。生物統計学を人類集団に適用して人類の遺伝学的,優生学的研究を行なった。特に南アフリカのレホボート (オランダ人と現地人の混血) の調査に基づく人種交配についての科学的研究が有名。主著"Die Rehobother Bastards und das Bastardierungsproblem beim Menschen" (1913) ,"Anthropologie" (23) ,"Menschliche Erblichkeitslehre und Rassenhygiene" (27) 。

フィッシャー
Fischer, Hans

[生]1881.7.27. ヘヒシュトアムマイン
[没]1945.3.31. ミュンヘン
ドイツの有機化学者。 1904年マールブルク大学で化学の学位を取得。次いで 08年ミュンヘン大学で医師の資格を取り,医者をしながら医化学の研究をした。インスブルック大学医化学教授を経て,ミュンヘン大学教授 (1921) 。動物の血色素ヘミンと植物色素クロロフィルの構造を決定し,これらがともにポルフィリン構造をもつことを示した。ヘミンの合成に成功し,クロロフィルの合成もほぼ完成した。さらにビタミンAの前駆物質である黄色色素カロテンの研究にも貢献した。 30年ノーベル化学賞を受賞した。

フィッシャー
Fischer, Johann Caspar Ferdinand

[生]1655頃
[没]1746.3.27. ラシュタット
ドイツの作曲家。バーデン辺境伯ルートウィヒの楽長をつとめた。作品はトランペットを伴う管弦楽組曲『春の日記』 (1695) ,20の前奏曲フーガから成る『アリアドネ・ムジカ』 (1715) など。

フィッシャー
Fischer, Kuno

[生]1824.7.23. シュレジエン
[没]1907.7.5. ハイデルベルク
ドイツの哲学者,哲学史家。ライプチヒ,ハレの各大学で文献学,神学,哲学を学んだ。 1872年ハイデルベルク大学教授。ヘーゲル学者で,ヘーゲル学派の中央派に属するが,またカントの文献学的研究により新カント学派の形成に刺激を与えた。主著『ディオティーマ,美の理念』 Diotima,die Idee des Schönen (1849) ,『論理・形而上学体系』 System der Logik und Metaphysik (52) ,『近世哲学史』 Geschichte der neueren Philosophie (10巻,52~93) 。

フィッシャー
Fischer, Leck

[生]1904.3.26. コペンハーゲン
[没]1956.6.17. コペンハーゲン
デンマークの小説家。第1次世界大戦後の「幻滅の時代」を代表する一人。冷静かつ客観的に身辺をみつめて,親子,夫婦,兄妹の関係を追究した。代表作,3部作『幸福なレイフ』 Leif den Lykkelige (1928~29) ,『じきに月曜になるよ』 Det mågerne blive Mandag (34) ,『40代の女』 En Kvinde på Fyrre (40) 。

フィッシャー
Fisher, Andrew

[生]1862.8.29. エアシャー,キルマーノック近郊
[没]1928.10.22. ロンドン
オーストラリアの政治家。初期の労働党政権下で3回首相となった (1908~09,10~13,14~15) 。スコットランドの出身で,1885年オーストラリアに移住。 93年クイーンズランド議会に選出され,連邦議会発足当時 (1900) の労働党議員をつとめた。首相在任中の1期目は前内閣 (A.ディーキン ) の社会立法の充実,拡大をはかり,2期目には漸進的な社会主義政策の実施に成功,40の法案を成立させたが,そのなかにはオーストラリア紙幣発行法,連邦銀行設立法などがある。またオーストラリア海軍の設立が立法化され,軍備の強化をはかった。第1次世界大戦ではイギリス本国支持を早くから決定。 1915年戦争の圧迫により首相を辞任。 16~21年高等弁務官としてロンドンで勤務した。

フィッシャー
Fisher, Herbert Albert Laurens

[生]1865.3.21. ロンドン
[没]1940.4.18. ロンドン
イギリスの歴史家,政治家。オックスフォード大学を卒業後,1891年母校の講師となり,フランス,ドイツに留学。ドイツ史学の科学的方法論に強く反発,人物史に立脚する優雅,自由な方法を採用した。 1916年以降ロイド・ジョージ内閣の文相,20~22年国際連盟総会のイギリス代表をつとめた。主著『ヨーロッパ史』 History of Europe (3巻,1935) ,『ナポレオンの政治力』 Studies in Napoleonic Statesmanship (03) ,『ヨーロッパ共和制の伝統』 The Republican Tradition in Europe (11) 。

フィッシャー
Fisher, Irving

[生]1867.2.27. ニューヨーク,ソーゲルティーズ
[没]1947.4.29. コネティカット,ニューヘーブン
アメリカの経済学者,統計学者。エール大学に学び,同大学教授 (1898~1935) 。博士論文『価値と価格の理論の数学的研究』 Mathematical Investigations in the Theory of Value and Prices (1892) は,アメリカにおける最初の一般均衡理論書であるが,ベクトルを用いて今日の線型経済学の先駆をなすなど多くの独創的貢献を含んでいる。貨幣数量説の主張者として,その交換方程式とともに有名。指数論においてもいわゆるフィッシャーの理想算式を考案した。みずからも設立に尽力した計量経済学会 (1930創立) の初代会長。主著『資本と所得の性質』 The Nature of Capital and Income (06) ,『貨幣購買力』 The Purchasing Power of Money (11) ,『指数論』 The Making of Index Numbers (22) ,『利子の理論』 The Theory of Interest (30) 。

フィッシャー
Fisher, John

[生]1469. ヨークシャー,ベバリー
[没]1535.6.22. ロンドン
イギリスのカトリック司教,枢機卿。聖人。ケンブリッジ大学卒業。 1504~34年母校総長,ロチェスターの司教。 11年友人 D.エラスムスにすすめてケンブリッジで教えさせた。学者,説教者,行政家としてもすぐれていた。ヘンリー7世母后,ヘンリー8世第1妃の聴罪師。ルター派に反対し,論戦に活躍。ヘンリー8世の離婚と首長令に反対して 34年ロンドン塔に入獄。獄中で枢機卿に任じられたが,刑死。 1935年列聖。主著"Lutheri assertionis confutatio" (1523) 。祝日は6月 22日。

フィッシャー
Fisher, John Arbuthnot, 1st Baron Fisher

[生]1841.1.25. セイロン
[没]1920.7.10. ロンドン
イギリスの海軍軍人,政治家。 13歳で海軍に入り,クリミア戦争,中国などで活躍。 1874年大佐,90年少将に昇進し,92年海軍本部委員,94年ナイト爵に叙せられた。その後,西インド諸島,ハーグ平和会議などで活躍,地中海艦隊司令長官となった。 1902年に再び第2委員として海軍本部につとめ,04年に海軍本部委員長 (軍令部長) となり,戦艦『ドレッドノート』を建造して大艦巨砲時代をもたらしたのをはじめ,多くの改革を行なって海軍力を強化し,第1次世界大戦中のイギリス海軍の基礎を築いた。 09年男爵となり,10年引退。 14年 73歳で海軍本部委員長に復帰し,海相 W.チャーチルの下で第1次世界大戦中海軍による積極的な攻撃を指導したが,チャーチルのダーダネルス作戦に反対し,15年に引退。主著"Memories and Records" (2巻,1919) 。

フィッシャー
Fisher, Sir Ronald (Aylmer)

[生]1890.2.17. ロンドン郊外イーストフィンチリ
[没]1962.7.29. アデレード
イギリスの統計学者。ケンブリッジ大学カイユス・カレッジ卒業後,会社の統計技師 (1913~15) ,中等学校教師 (15~19) をしたあと,ロザムステッド農事試験所で統計技師として働き (19~33) ,次いでロンドン大学優生学教授 (33~43) を経て,母校ケンブリッジ大学の遺伝学教授 (43~57) 。 52年にナイトの称号を与えられる。ロザムステッド農事試験所での経験から母集団と標本を区別し,小標本によって母集団の平均や分散などを推測する方法を確立し,従来の統計学 (記述統計学) の代りに新しい統計学 (推測統計学 ) を創始した。特に実験計画法は彼のロザムステッド時代の独創的産物である。集団遺伝学でも業績を残している。ケンブリッジ大学を退職後,オーストラリアのアデレードの研究所で客員研究員をしていた。

フィッシャー
Vischer, Friedrich Theodor

[生]1807.6.30. ルートウィヒスベルク
[没]1887.9.14. ゲムンデン
ドイツの美学者。ヘーゲル学派の美学の代表者。 1835年テュービンゲン大学講師,44年同大学,55年チューリヒ,66年テュービンゲンの各大学教授。美的範疇論に関して独自の考察を示し,ヘーゲル学派の美学の体系化に貢献した。すなわち彼においては,理念と形象とを契機とする矛盾の展開過程として崇高,滑稽が,そしてその統一として本来的な美 (優美) が考えられ,醜はそれらの否定的なものとして把握された。晩年は観念論的傾向を離れ,具体的,心理主義的傾向を強めた。主著『美学』 Ästhetik oder Wissenschaft des Schönen (6巻,1846~57) 。

フィッシャー
Fischer, Joschka

[生]1948.4.12. ゲーラブロン
ドイツの政治家。1990年代に緑の党を率いて連立政権に参加した。1946年にハンガリーを追放されてドイツに移住したハンガリー人の父とドイツ人の母の間に生まれた。高校を中退して写真家見習いとなった。1967年,ドイツ連邦共和国(西ドイツ)のベルリンで行なわれた政治デモで学生が警官に射殺された事件をきっかけに政治活動に目覚め,1968年末にフランクフルトに移住すると過激派グループのメンバーとなった。1977年に左翼テロ活動に参加したあと,過激派と袂を分かち 1982年に緑の党に入党。1983年,緑の党初の西ドイツ連邦議会議員となった。フィッシャーの現実主義路線は,緑の党を草の根の環境保護団体以上のものに押し上げていった。また,1990年代に緑の党の断固とした反核政策を方向転換し,ドイツは軍事的に,北大西洋条約機構 NATOを通じてではなくとも,ヨーロッパ連合 EUを通じて西ヨーロッパ諸国と結びついているべきだと考えた。90年連合と組んだ 1994年の選挙では,7.3%の得票率で再び連邦議会に議席を獲得した。1998年の選挙後,90年連合=緑の党は,ドイツ社会民主党 SPD主導の連立政権に参加。同 1998年フィッシャーは副首相兼外務大臣に任命され 2005年まで務めた。2002年,緑の党党首に就任したが,2005年に選挙結果の責任をとり辞任。翌 2006年政界を引退し,アメリカ合衆国のプリンストン大学で講師および特別研究員として過ごした。2007年ドイツに帰国。

フィッシャー
Fischer, Edmond H.

[生]1920.4.6. 上海
アメリカの生化学者。スイス人の両親のもとに上海で生れる。 1947年ジュネーブ大学で博士号を取得。 53年アメリカに渡り,シアトルのワシントン大学の生化学助教授に就任。 61年教授,90年名誉教授。 1950年代なかば,E.G.クレブスとともに細胞蛋白質へのリン酸基の付加と離脱反応によって筋肉の収縮が起ることを発見し,リン酸基の付加反応を触媒する酵素キナーゼと離脱反応を触媒するホスファターゼの不均衡が糖尿病や癌,アルツハイマー症などの原因になることを示した。 92年クレブスと共同でノーベル生理学・医学賞を受賞。

フィッシャー
Fischer, Ernst Otto

[生]1918.11.10. ドイツ,ミュンヘン
ドイツの化学者。第2次世界大戦に従軍後,ミュンヘン工科大学で学び 1952年博士号を取得。 59年同大学教授,64年無機化学研究所主任を歴任。金属のなかで遷移金属と呼ばれるものが有機物質と化合する機構を解明し,同時期に同様の研究をしていたイギリスの G.ウィルキンソンとは別に,有機金属化合物がつくるサンドウィッチ化合物の構造を研究した。イェナ大学,マールブルク大学でも教鞭をとり,アメリカの複数の大学の客員教授となっている。ウィルキンソンとともに 73年ノーベル化学賞受賞。

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デジタル大辞泉の解説

フィッシャー(Emil Fischer)

[1852~1919]ドイツの化学者。生体を構成する物質について研究し、尿酸などのプリン体糖類の合成やたんぱく質からのアミノ酸分離など、広い分野にわたる業績がある。1902年ノーベル化学賞受賞。

フィッシャー(fisher)

フィッシャーマン

フィッシャー(Irving Fisher)

[1867~1947]米国の経済学者。貨幣理論・物価指数論などに貢献。著「価値と価格の理論の数学的研究」「貨幣の購買力」など。

フィッシャー(Robert James Fischer)

[1943~2008]米国生まれのチェスプレーヤー。全米選手権で8連覇を達成。1972年には世界選手権を制して、世界チャンピオンとなった。ボビー=フィッシャー。

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百科事典マイペディアの解説

フィッシャー

ドイツの有機化学者。ボン大学でケクレに,次いでシュトラスブルク大学でA.v.バイヤーに学び,エルランゲン,ビュルツブルクの各大学教授を歴任し,1892年ベルリン大学教授。

フィッシャー

ドイツの解剖学者,人類学者。南西アフリカ現地調査を行い,混血を研究して有名となる。ドイツの人類学の主軸として活躍,形質に対し環境が大きく作用することを指摘。

フィッシャー

ドイツの化学者。1913年カイザー・ウィルヘルム石炭研究所長。石炭化学,石炭の利用についての研究を行い,1926年人造石油合成法(フィッシャー合成)を発明した。

フィッシャー

ドイツの有機化学者。ローザンヌ大学,マールブルク大学で医学を学び,のちE.フィッシャー,ウィンダウスに師事。1921年ミュンヘン工科大学の有機化学教授。血液や胆汁の色素の化学構造に興味をもち,ヘミン,クロロフィルなどのポルフィリンの構造決定およびその合成に成功。

フィッシャー

米国の経済学者,統計学者。イェール大学教授。交換方程式を用いて貨幣数量説を定式化し,通貨安定のために物価水準の変動とともに実質価値を増減する安定ドルを提唱。また物価指数を研究しフィッシャーの理想算式を発表。
→関連項目フィッシャーの交換方程式補整ドル

フィッシャー

スイスのピアノ奏者,指揮者。バーゼル生れ。バーゼル音楽院に学んだ。ドイツ古典音楽を中心とした演奏活動を行い,1928年‐1930年ドイツのミュンヘン・バッハ協会指揮者,のちベルリンでフィッシャー室内管弦楽団を主宰し,18世紀の演奏の再興を目指した。

フィッシャー

英国の推計学者。ケンブリッジ大学で数学と物理学を学び,1918年農事試験所の統計研究所に勤務,1943年ケンブリッジ大学教授。従来の数理統計学を変革,小標本から母集団に関する知識を推測する方法を理論的に確立,推測統計学を創始した。
→関連項目F分布

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

フィッシャー

神聖ローマ帝国配下の勇将、バーデン辺境伯ルートヴィヒの宮廷に仕えた音楽家。現存する作品は多くはないが、明澄で愛らしい響きと簡明な様式ゆえに、今日でもオルガン音楽のレパートリーとして演奏されている。また ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

フィッシャー【Edwin Fischer】

1886‐1960
スイスのピアノ奏者。バーゼルとベルリンで研鑽を積む。ベルリンのシュテルン音楽院で教え,1931年ベルリン高等音楽学校教授に迎えられた。また独奏者,室内楽奏者として華々しく活躍。指揮者としても1928‐32年ミュンヘン・バッハ協会を指揮した後,ベルリンで18世紀の演奏実践の再興を目ざした室内楽団を組織,ヨーロッパ各地を演奏旅行した。42年本拠をスイスに移した。ロマン主義的な柔らかく,温かい演奏を特徴とし,モーツァルトベートーベンを得意とした。

フィッシャー【Ernst Fischer】

1899‐1972
オーストリアの作家で共産主義者グラーツで哲学を学び作家活動に入る。当初オーストリア社会民主党員で,1927‐34年,党中央機関紙《アルバイター・ツァイトゥング》の編集にたずさわる。34年,オーストリア共産党に入党。同年プラハに亡命。その後,ソ連に渡り,コミンテルンのオーストリア共産党の代表となる。45年帰国。45‐59年,党中央委員。69年,チェコスロバキア共産党の改革路線を支持し,党から除名された。

フィッシャー【Emil Hermann Fischer】

1852‐1919
ドイツの有機化学者。ボン近郊のオイスキルヘンの生れで,商人の子。ボン大学でF.A.ケクレに,普仏戦争でドイツ領になったばかりのシュトラスブルク(現,ストラスブール)でJ.F.W.A.vonバイヤーに化学を学ぶ。1875年バイヤーとともにミュンヘン大学に移り私講師を勤め,79年より助教授,82年エルランゲン大学教授,85年ビュルツブルク大学教授,92年ベルリン大学教授。彼の研究は,有機化学の手法を生体を構成する重要物質に対して適用するものだった。

フィッシャー【Franz Fischer】

1877‐1947
ドイツの化学者。フライブルクの生れ。1911年シャルロッテンブルク工業大学教授となり,13年ルール地方のカイザー・ウィルヘルム協会の石炭研究所長に就任した。23年トロプシュHans Tropsch(1889‐1935)とともに,一酸化炭素と水素とから常圧の下で炭化水素を合成する,いわゆるフィッシャー・トロプシュ合成法に成功し,26年にこれを発表した。この合成法は〈フィッシャー法〉とも呼ばれ,とくに,第2次大戦前後にドイツ,日本,フランスなどで工業化され,人造石油工業の一環として石炭からの液体燃料の製造に重要な役割を果たした。

フィッシャー【Friedrich Theodor Vischer】

1807‐87
ドイツの美学者。1837年来教壇に立ち,チュービンゲン,チューリヒなどの大学教授。48年の革命時にはフランクフルト国民議会の議員として政治にも参与した。ヘーゲル左派と交わりつつヘーゲル美学の体系整備をはかる大部の《美学》全6巻(1846‐57)を著し,美的範疇論にも卓説を残している(《崇高と滑稽》1837)。だが思潮が観念論から実証科学へ移ろうとする時代であり,《美学》完成後ほどなくこれをみずから退けて,現実を扱う哲学は自然科学にもとづかなければならぬという自覚の上に,すすんで次代の心理学的美学への模索をはじめた。

フィッシャー【Hans Fischer】

1881‐1945
ドイツの有機化学者。ローザンヌ,マールブルク両大学で医学と化学を学び,1904年ベルリン大学でE.フィッシャーの助手,10年ミュンヘン大学教授,21年ミュンヘン工科大学教授。彼の最大の成果は,血色素中のヘミンの構造決定とその合成である。ピロール誘導体からポルフィリン環をつくり,15種のヘミン異性体を合成し,30年にノーベル化学賞を受けた。その後,植物の葉緑素の研究に進み,それが中心にマグネシウムをもつポルフィリン核誘導体であることを示し,その構造を完全に解明した。

フィッシャー【Irving Fisher】

1867‐1947
アメリカの経済学者。イェール大学で物理学と数学を専攻し,初めは数学者であったが経済学に興味をもち専門を変えている。1898‐1935年イェール大学経済学教授。経済学の研究に数学的および統計的分析法を本格的に導入した先駆者である。しかし著作で活動した分野は広く,人口学公衆衛生健康法に及び,また便利なカードファイル法を発明し,事業として成功させている。また国際計量経済学会(現,エコノメトリック・ソサエティ)の創設者の一人であり,初代会長を務めた(〈計量経済学〉の項参照)。

フィッシャー【John Fisher】

1459ころ‐1535
イギリスのカトリック教会の聖職者,ロチェスター司教,聖人。ケンブリッジで教育を受け,1504年総長就任。ヘンリー8世の祖母マーガレット・ボーフォートに進言して,ケンブリッジに二つのカレッジを,またオックスフォード,ケンブリッジ両大学に神学講座を開設させた。他方,エラスムスをケンブリッジに招聘するなど,人文主義の普及にも努めた。ヘンリー8世の離婚問題が生ずると王妃キャサリンを支持して離婚に反対したためロンドン塔に収監され,王位継承法(1534)の前文にある教皇至上権の否定に反対したため,35年6月22日,大逆罪で断首刑に処せられた。

フィッシャー【Ronald Alymer Fisher】

1890‐1962
イギリスの統計学者,遺伝学者。ケンブリッジ大学卒業後,ロザムステッド農事試験場の技師となる。のちロンドン大学,ケンブリッジ大学の教授を歴任し,引退後オーストラリアで死去。フィッシャーの業績は四つの分野にわたる。第1は統計的推測とくに推定(統計的推定)の基礎理論の建設で,最尤(さいゆう)推定法の導入とその大標本のもとでの有効性の証明,推定量の効率の尺度としての情報量の定義,推測確率の概念の導入などがある。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

フィッシャー【Fischer】

〔Emil F.〕 (1852~1919) ドイツの化学者。複雑な有機化合物の構造・合成を研究し、生化学の基礎を築く。プリン類・糖類の合成のほか、アミノ酸・タンパク質の研究によりポリペプチドの合成と構造決定に成功。
〔Franz F.〕 (1877~1947) ドイツの化学者。常圧下における石油の合成に成功。

フィッシャー【Fisher】

〔Irving F.〕 (1867~1947) アメリカの経済学者。数学的・統計的手法を本格的に導入して貨幣数量説・物価指数論などに貢献。著「価値と価格の理論の数学的研究」
〔Ronald Aylmer F.〕 (1890~1962) イギリスの統計学者・遺伝学者。推測統計学(推計学)を創始。また、分散分析法を確立して実験計画の科学化に貢献。

フィッシャー【Peter Vischer】

1460頃~1529) ドイツの彫刻家。後期ゴシック風とルネサンス風とを融和させたドイツ-ルネサンス彫刻の代表者の一人。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

367日誕生日大事典の解説

フィッシャー

生年月日:1867年2月27日
アメリカの経済学者,統計学者
1947年没

フィッシャー

生年月日:1877年3月19日
ドイツの化学者
1948年没

フィッシャー

生年月日:1874年6月5日
ドイツの人類学者
1967年没

フィッシャー

生年月日:1824年7月23日
ドイツの哲学者,哲学史家
1907年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内のフィッシャーの言及

【化学】より

…配位説は20世紀に開花した錯体化学への道を開いた。E.フィッシャーは糖類の構造の解明に際して炭素正四面体説をよりどころにした。糖類でのみごとな成功によって炭素正四面体説は疑う余地のないものとなった。…

【光学異性】より

… 光学異性を説明するために提案された炭素の正四面体説は,その誕生に際しては,A.W.H.コルベのような有力な化学者の反対を受けたが,しだいに積み上げられていく実験事実によって反論しがたいものとなっていった。とくに19世紀末E.フィッシャーが糖の立体異性を炭素正四面体説で説明するのに成功して炭素正四面体説の強い支えとなった。 20世紀に入るとA.ウェルナーの配位理論によって,金属錯体でも分子不斉による光学異性の存在することが主張された。…

【バルビタール】より

ジエチルバルビツール酸ともいい,鎮静・催眠薬として用いられる長期間作用型の催眠薬である。1903年E.フィッシャーが工業的製造法を発明し,メーリングJoseph Mering(1849‐1908)が催眠効力を認めてベロナールVeronalと名づけた。フランスではジエチルマロニル尿素という。…

【フィッシャー合成】より

…一酸化炭素の水素化反応によって液体の炭化水素燃料を合成する方法。1920年代の初め,ドイツのF.フィッシャーとトロプシュHans Tropsch(1889‐1935)によって発明されたので,F‐T合成法(フィッシャー=トロプシュ法)とも呼ばれる。石炭をガス化して一酸化炭素と水素からなる合成ガスに変えたのち,この方法で液体燃料を合成することができるので,石炭の間接液化法として位置づけることができる。…

【貨幣数量説】より

…他方,取引の総価値額は,その経済において一定期間に行われる個々の商品の取引額の和であるが,それは個々の取引数量に,取引される商品の価格を掛けたものの総和である。この関係をI.フィッシャーの有名な交換方程式に従って示せば,MVPTとなる。ここで,Mは貨幣量(名目残高。…

【資本】より


[さまざまな資本の概念]
 生産の技術上の要件であるさまざまなもののうち資本概念に含められるべきものの範囲を特定しようとする試みから,この概念のさまざまな定義が生じる。I.フィッシャーは,効用の発生が所得の発生であるという観点に立ってこの概念を最も広い意味にとらえる。それは,効用発生の源泉となるすべてのものの蓄積である。…

【遺伝学】より

…遺伝子の自然および人為突然変異の研究はこの問題に大きな手がかりを与え,遺伝学が進化機構の解明に深くかかわることとなった。すでに1908年にハーディG.H.HardyとワインベルクW.Weinbergは安定した任意交配集団における遺伝子頻度と遺伝子型頻度の関係について,〈ハーディ=ワインベルクの法則〉とよばれる法則を発見していたが,30年代に入り統計学の進歩と相まって,淘汰・突然変異・繁殖様式・集団構造などを考慮に入れて集団の遺伝的構成の経時的変動を研究する集団遺伝学の基礎がR.A.フィッシャー,J.B.S.ホールデーン,ライトS.Wrightなどによって築かれた。最近は遺伝子やその支配形質の違いを分子レベル,すなわちDNAの塩基配列やタンパク質の一次構造の差異としてとらえ,その集団における挙動が盛んに研究されている。…

【機会的浮動】より

…この集団が有限であることに起因する機会的な遺伝子頻度の変化を機会的浮動という。この結果,小さい集団では対立遺伝子の片方が消失し,遺伝子の固定が起こりやすく,これが変異の減退をもたらし,進化の上で重要な意味をもつということはすでにハーゲドールンA.L.Hagedornら(1921)によって指摘され,R.A.フィッシャー,ライトS.Wrightにより理論的に研究された。特にライトは1931年以後遺伝子頻度の機会的変動の進化における役割を明らかにし,後にその重要性が多くの生物学者に認識されるようになると,ライト効果Wright effectという言葉まで同義語として用いられるようになった。…

【古地磁気】より

…L.ネールは48年フェリ磁性の研究,49年,51年には熱残留磁化の研究を相次いで発表し,理論的な基礎を築き,52年イギリスのブラケットP.M.S.Blackettは非常に弱い磁化まで測定できる高感度無定位磁力計を作りあげた。さらに53年R.A.フィッシャーは測定値のばらつきの程度の統計的な解析方法を示した。これ以後古地磁気研究は活発に行われるようになり,地球上のあらゆる地域が調べられた。…

【実験計画法】より

…また理論的にも,整数論,置換群論,環論,有限幾何学,グラフ理論,符号理論,組合せ理論など多くの数学の分野と互いに接触をもつ分野に成長している。 実験の場に確率モデルを導入するため,実験計画法の創始者R.A.フィッシャーは1920年代に,反復,無作為化,局所管理の3原則を提唱,誤差の推定と管理を可能にし,モデルの下で実際に解析する手法として分散分析法を確立し,実験計画における統計的方法の重要性を力説した。 実験計画法の基礎においているデータの確率モデルは線形モデルである。…

【統計学】より

…とくにピアソンは大標本理論を中心として相関,回帰分析,検定,推定の方法を作り出した。20世紀に入って小標本についての精密標本理論がW.S.ゴセットおよびとくにR.A.フィッシャーによって建設され,さらにネーマンJerzy Neyman(1894‐ ),ピアソンEgon Sharpe Pearson(1895‐1980),ワルドAbraham Wald(1902‐50)らによって統計的推測理論は精密化された。またフィッシャーはロザムステッドの農事試験場の経験のなかから統計的実験計画法を作り出した。…

※「フィッシャー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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