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フランツ フランツ Frantz, Konstantin

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フランツ
フランツ
Frantz, Konstantin

[生]1817.9.12. ベルネッケ
[没]1891.5.2. ドレスデン
ドイツの国家学者,政治評論家。 1856年プロシア外務省官吏を解職され,プロシア主義の政策を批判し,ドイツ問題ヨーロッパ連邦の実現によって解決されると主唱。また生物学的見地から一種の国家有機体説を唱えた。

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フランツ
フランツ
Franz, Robert

[生]1815.6.28. ハレ
[没]1892.10.24. ハレ
ドイツの作曲家。本名 Franz Knauth。 F.シュナイダーに師事し,1841年にハレの教会のオルガン奏者,42年にジングアカデミーの指揮者となった。 43年に発表した歌集『12の歌』は,シューマンリストによって好まれ,リストはフランツの曲をピアノ用に編曲した。

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デジタル大辞泉の解説

フランツ(Franz)

(2世)[1768~1835]神聖ローマ帝国最後の皇帝。在位1792~1806。フランス革命からナポレオン戦争にわたる激動の時代に在位。オーストリア皇帝(フランツ1世、在位1804~1835)となり、1806年、ナポレオンライン同盟政策による圧迫を受けて神聖ローマ帝国を解体。
(~ Joseph)(1世)[1830~1916]オーストリア皇帝。在位1848~1916。1867年オーストリアハンガリー帝国を成立させ、ハンガリー国王を兼任。バルカン問題でロシアと対立し、第一次大戦の口火を切った。大戦中に没。フランツ=ヨーゼフ。フェレンツヨージェフ
(~ Ferdinand)[1864~1914]オーストリア皇太子。の甥(おい)。1914年6月、妃ゾフィーとともにボスニアのサラエボセルビア青年に暗殺され、これが第一次大戦のきっかけとなった。フランツ=フェルディナント。→サラエボ事件

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世界大百科事典 第2版の解説

フランツ【Robert Franz】

1815‐92
ドイツ・ロマン派リート作曲家。1841年生地ハレの教会オルガン奏者,翌年同地のジングアカデミーの指揮者に就任。43年最初のリート集を発表。59年からハレ大学音楽監督も務める。J.S.バッハヘンデルの音楽に傾倒し,編曲などを手がけ,それは彼のリートの作風にも影響している。代表的な歌曲集に《おやすみGute Nacht》を含む《十二の歌曲》(1846),《静かな確信Stille Sicherheit》を含む《六つの歌曲》(1860)などがある。

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大辞林 第三版の解説

フランツ【Franz】

(二世)(1768~1835) 神聖ローマ帝国皇帝(在位1792~1806)。フランツ一世としてオーストリア皇帝(在位1804~1835)。ナポレオン一世との戦いに敗れ、神聖ローマ帝国を解体。ウィーン会議で領土を回復し反動政治を行なった。
〔F. Joseph〕 (1830~1916の孫。オーストリア皇帝(在位1848~1916)。普墺戦争に敗北後、ハンガリーと妥協し二重帝国を編成。バルカンをめぐるロシアとの対立は第一次大戦の端緒となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フランツ
ふらんつ
Robert Franz
(1815―1892)

ドイツ・ロマン派のリート作曲家。ハレの一般市民の子として生まれる。毎晩父が歌うプロテスタント教会コラール(賛美歌)を聴いて育ち、母からピアノの手ほどきを受けたのが少年期の唯一の音楽教育だった。デッサウ音楽家シュナイダーのもとで2年間音楽理論を学ぶが、結局故郷に帰り、バッハ、ヘンデル、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーンの作品を研究しながら独学で音楽を修めた。1841年ハレのウルリヒ教会のオルガン奏者、翌年同市ジングアカデミー合唱団の指揮者、59年大学音楽監督となり、おりからドイツで盛んになったバッハ復興運動の中心人物となった。43年には最初の歌曲集が出版され、生涯に350曲を超える歌曲を書いた作曲家としての当時の評価の高さは、リストが彼の評伝(1872)を書くほどの崇拝ぶりからもうかがえる。[樋口隆一]

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