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ルクセンブルク Luxemburg

翻訳|Luxemburg

大辞林 第三版の解説

ルクセンブルク【Luxemburg】

ヨーロッパ西部、ベルギー・フランス・ドイツに囲まれた小さな内陸国。立憲君主制。鉄鉱石を産出、製鉄業が盛ん。住民はドイツ系でカトリック教徒。首都ルクセンブルク。面積3千平方キロメートル。人口50万( 2005)。正称、ルクセンブルク大公国。
の首都。鉄道交通の要地。金属・機械工業が発達。 〔「盧森堡」とも当てた〕

ルクセンブルク【Rosa Luxemburg】

1870~1919) ドイツの女性革命家・経済学者。ポーランドから移住、社会民主党左派の理論的指導者として修正主義派と論争。第一次大戦に反対しリープクネヒトらとスパルタクス団を結成、さらにドイツ共産党を創立。武装蜂起の際に虐殺された。著「資本蓄積論」など。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ルクセンブルク

人口約47万人。ベルギーオランダと併せて「ベネルクス」と呼ばれる。銀行・金融業が盛んで、生活水準は高い。1868年制定の憲法は世襲大公による立憲君主制を採用し、アンリ大公は2000年に即位した。敬虔(けいけん)なカトリック信者として知られる。

(2009-07-27 朝日新聞 朝刊 1外報)

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デジタル大辞泉の解説

ルクセンブルク(Luxembourg)

ヨーロッパ西部、フランスドイツベルギーに囲まれた大公国立憲君主制。首都は同国中南部にあるルクセンブルク。住民はドイツ系。1815年大公国となり、1867年永世中立が認められた。1949年NATO北大西洋条約機構)に加盟し中立を放棄。面積2586平方キロメートル。人口50万(2010)。

ルクセンブルク(Rosa Luxemburg)

[1870~1919]ドイツの女性社会主義者・経済学者。ポーランド生まれ。ドイツ社会民主党左派、ポーランドの革命運動の指導者。第一次大戦中、スパルタクス団を組織。ドイツ革命勃発後ドイツ共産党を結成、リープクネヒトらと一月蜂起(ほうき)に参加し、政府軍によって虐殺された。著「資本蓄積論」「社会改良か革命か」など。

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百科事典マイペディアの解説

ルクセンブルク

ドイツおよびポーランドの女性革命家。ロシア領ポーランド生れ。ドイツ社会民主党左派の理論的指導者として修正主義派との論争で名を知られた。第1次世界大戦中は一貫して反戦運動を指導し,スパルタクス団を組織した。
→関連項目カウツキードイツ共産党

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世界大百科事典 第2版の解説

ルクセンブルク【Luxemburg】

正式名称=ルクセンブルク大公国Grand-duché de Lexembourg∥Grossherzogtum Luxemburg面積=2586km2人口(1996)=41万人首都=ルクセンブルクLuxemburg(日本との時差=-8時間)主要言語=フランス語,ドイツ語通貨=ルクセンブルク・フランFranc luxembourgeois∥Luxemburgischer Francヨーロッパ北西部に位置する立憲君主国。

ルクセンブルク【Rosa Luxemburg】

1870‐1919
ドイツおよびポーランドの革命家,マルクス主義理論家。木材業者の娘としてロシア領ポーランドのザモシチに生まれる。ワルシャワの高校生時代に社会主義運動に参加,1889年,チューリヒに逃れ,大学で自然科学,哲学,社会科学を学び,博士論文に取り組む(1898年《ポーランドの産業発展》として公刊)とともに,多くの亡命革命家と知り合い,94年,仲間とポーランド王国社会民主党を結成。98年,市民権を得てベルリンに移り,ドイツ社会民主党に入党。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルクセンブルク
Luxemburg, Rosa

[生]1871.3.5. ザモシトシ
[没]1919.1.15. ベルリン
ドイツの婦人革命家,社会主義者。ポーランド生れのユダヤ人。早くから地下活動に身を投じ,1889年スイスのチューリヒにおもむき,政治,経済を学び,98年博士号を取得,その間 G.プレハーノフ,P.アクセルロートらと知合い,社会主義運動に加わった。 93年ロシア・ポーランド社会民主党 (ポーランド共産党の前身) を結成。 95年ドイツに入国,ドイツ社会主義運動に指導的役割を果した。 1905年のロシア革命に際しては,ワルシャワにおもむき,革命を援護したため,逮捕され,出獄後は,ドイツに定住。修正主義論争を通じてドイツ社会党左派およびポーランド革命運動の理論的指導者の一人となった。第1次世界大戦では,反戦運動を展開し,17年 K.リープクネヒトとともに,ドイツ共産党の前身「スパルタクス団」を設立,しかしまもなく逮捕され,獄中から反戦・革命運動を指導した。大戦後釈放され,ドイツ共産党を創立したが,19年1月政治的蜂起の際捕えられて殺された。『資本蓄積論』 Die Akkumulation des Kapitals (1913) などマルクス主義について数多くの著述がある。

ルクセンブルク
Luxembourg

正式名称 ルクセンブルク大公国 Groussherzogtum Lëtzebuerg (ルクセンブルク語) ,Grand-Duché de Luxembourg (フランス語) ,Grossherzogtum Luxemburg (ドイツ語) 。
面積 2586km2
人口 51万7000(2011推計)。
首都 ルクセンブルク

ヨーロッパ北西部にある国。ベルギー,フランス,ドイツと国境を接する。ベルギーのアルデンヌ高原とフランスのロレーヌ台地の間にある丘陵性の地帯にあり,降水量が比較的多く,気候は冷涼である。住民はドイツ系が多く,公用語はドイツ語系のルクセンブルク語,フランス語,ドイツ語の3種類。宗教はカトリックが 90%以上を占める。主産業はフランスのロレーヌ地方から延びる鉄鉱床に依存して 19世紀から発達した鉄鋼業。土地利用では,耕地,牧草地,放牧地が卓越し,酪農,牧畜業が広く行なわれている。主要輸出品は,鉄鋼,金属製品,繊維,化学薬品などで,ドイツ,ベルギーをはじめ周辺の国々との取り引きが多い。立憲君主制で,比例代表制による一院制議会がある。ベルギー,オランダとともにベネルックス三国と称される。ヨーロッパ連合 EUやヨーロッパ共同体 ECの基礎となったヨーロッパ経済共同体 EECなどの原加盟国。 (→ルクセンブルク史 )

ルクセンブルク
Luxembourg

ルクセンブルクの首都。同国の南部を北流するアルゼット川沿岸に位置する。アルゼット川の曲流部内側にある砂岩丘陵を天然の要害としてローマ人,のちにフランク人が城塞を築いたのが起源で,ルクセンブルクの名は「小さな砦」に由来している。旧市街は高台に広がり,大公宮殿 (1572) ,市庁舎 (1830~38) ,ゴシック様式のノートル・ダム大聖堂 (1613~23) などがある。新市街は谷底部にある。城塞はスペイン,オーストリア,フランス,ドイツなどと支配者が交代するたびに強化され,ヨーロッパではジブラルタルに次ぐ第2の堅塞といわれたが,1867年ドイツ連邦の崩壊に伴ってルクセンブルクが中立を保障された独立国として発足する際,武装解除された。旧市街と城塞遺構は 1994年世界遺産の文化遺産に登録。近郊には鉄鋼工業地帯がある。鉄道,道路交通の要地で,ヨーロッパ投資銀行,ヨーロッパ裁判所などがあり,ヨーロッパの金融の中心地の一つでもある。人口 9万4034(2011)。

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世界大百科事典内のルクセンブルクの言及

【恐慌】より

…これに対し,K.カウツキーN.ブハーリンは,マルクスの再生産表式の均衡条件が資本主義では不可避的な労働者大衆の消費制限によって破壊されざるをえないことを主張し,過少消費説的商品過剰論を説く。剰余価値の実現のためにかならず非資本主義的外囲が必要とされるとみたR.ルクセンブルクの資本蓄積論も,この系譜につらなる。その後,ソ連のE.バルガ,L.メンデリソン,東ドイツのF.エルスナー,日本の山田盛太郎,富塚良三,井村喜代子らマルクス主義経済学正統派は,レーニンのいう〈生産の社会的性格と領有の個人的性格との矛盾〉を基本として,消費制限説的恐慌論の歴史への適用や理論的進化に努めてきた。…

【社会主義】より

…ベルンシュタインの理論は,国家権力の核心がプロイセン陸軍の手に握られているドイツの現実を無視してはいたが,ドイツの党の活動の状態を率直に反映していた。他方で党内左派のローザ・ルクセンブルクらは,ゼネラル・ストライキによる権力奪取という革命的変革の展望を抱いていた。 ベルンシュタインの修正主義と,カウツキーに代表される党主流との闘争は,1903年の党大会決議によって形式的には修正主義の敗北に終わったが,現実に修正主義は党の体質に浸透しており,第1次大戦が勃発すると党指導者は政府を支持し,党の革命的言辞が空文句であったことをおのずから露呈した。…

【ドイツ革命】より

…社会民主党内に開戦当初から存在した〈帝国主義戦争〉反対派もしだいに勢力を強め,戦争支持派による抑圧と排除に抗して,17年4月,ついにドイツ独立社会民主党を結成した。同党は,ハーゼカウツキーら平和主義的な党指導部から,ローザ・ルクセンブルク,カール・リープクネヒトを中心とする反戦革命派のスパルタクス派まで,さまざまな流れから構成されていた。 ロシアに革命が勃発したこの1917年は,ドイツでも大衆行動が大戦下最初の高揚を見せた年となった。…

【ドイツ共産党】より

…第1次大戦前のドイツ社会民主党左派から発展して大戦中に独自の組織を形成したスパルタクス派Spartakus Gruppe(インテルナツィオナーレ派Gruppe Internationale)と,ブレーメン左翼急進派Bremer Linkeなどから1918年に結成された。 スパルタクス派は,ローザ・ルクセンブルクK.リープクネヒトらを指導者として組織され,政府の戦争政策を支持する党主流派に反対し,反戦と革命行動を唱えて非合法誌を発行し,この誌名がグループの呼称となった。1917年独立社会民主党(USPD)が創設されると独自の組織を維持しつつこれに属した。…

【ドイツ社会民主党】より

…理論の次元でも,世紀の変り目ごろ,ベルンシュタインが漸進的社会主義を唱えて党是のマルクス主義に修正を加えようとした(修正主義)。彼の主張は,カウツキーやローザ・ルクセンブルクの反批判を招き(修正主義論争),1903年の党大会で否定された。しかし,10年,革命運動の活性化を目ざしてルクセンブルクらが大衆ストライキを提唱すると,カウツキーらは〈中央派〉を形成し,左右両派に対してマルクス主義正統派たることを自認した。…

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