ライプチヒ大学(読み)ライプチヒだいがく(英語表記)Universität Leipzig

改訂新版 世界大百科事典 「ライプチヒ大学」の意味・わかりやすい解説

ライプチヒ大学 (ライプチヒだいがく)
Universität Leipzig

ドイツのライプチヒ市にある大学。1409年プラハ大学から当地に移住したドイツ人教師と学生らにより創設された。メランヒトンの影響による1539年の人文主義的改革の結果,16世紀にはドイツ最大の大学となった。17~18世紀には保守的精神の学内支配により衰退した時期もあったが,19世紀に入り再び名声勢力を回復した。第2次世界大戦で多大の損壊を受けたが,戦後いち早く再建がはかられ,東ドイツにおける中心的な研究・高等教育機関の一つとして発展した。大学制度の社会主義的改革に貢献したとの理由で,1953年にカール・マルクス大学改称したが,90年の東西ドイツ統合以降は,他の旧東ドイツの大学と同様に多くの教授が追放され,名称も標記のように変更された。神学,法,歴史・美術・東洋研究,言語学,教育,数学・コンピューター科学,生命科学・薬学・心理学,物理学・地学化学鉱物学,社会科学・哲学,スポーツ科学,獣医学,経済学,医学の14の学部から成る総合大学。96年現在,教師数約2100,学生数約2万。旧東ドイツでは,フンボルト大学に次ぐ第2の総合大学であった。アフリカ等の発展途上諸国からの留学生が多い点にも特色がある。
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百科事典マイペディア 「ライプチヒ大学」の意味・わかりやすい解説

ライプチヒ大学【ライプチヒだいがく】

ドイツ,ライプチヒにある伝統の古い大学。1409年設立。プラハ大学にならって組織され,メランヒトンによる人文主義的改革を経て,16世紀にはドイツ最大の大学となる。第2次大戦後,1953年にカール・マルクス大学と改称。フンボルト大学に次ぐ東ドイツ第2の大学となった。東西ドイツの統一にともない改称。神学,法学,歴史・芸術東洋学,数学・コンピューター科学など14学部。
→関連項目ライプチヒ

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世界大百科事典(旧版)内のライプチヒ大学の言及

【ライプチヒ】より

… 14~15世紀には手工業者も増え,1466年には27のツンフトをもち,人口6000となる。1409年ライプチヒ大学の創設もあって1500年ころには印刷・製本工も現れ,ミュンツァーもこの大学に学び,19年のライプチヒ討論はルターの宗教改革を決定的にした。1485年以後ザクセン公領に含まれ,1539年宗教改革を受け入れた。…

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