小平邦彦(読み)コダイラクニヒコ

デジタル大辞泉 「小平邦彦」の意味・読み・例文・類語

こだいら‐くにひこ〔こだひら‐〕【小平邦彦】

[1915~1997]数学者東京の生まれ。米国に留学滞在し、調和積分論の研究などで有名。文化勲章受章。

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精選版 日本国語大辞典 「小平邦彦」の意味・読み・例文・類語

こだいら‐くにひこ【小平邦彦】

  1. 数学者。東京帝国大学理学部を卒業アメリカのプリンストン大学高級科学研究所客員教授。帰国後東京大学教授。位相解析学の世界的権威で、「調和積分を応用した代数曲線・代数的多様体の研究」にてフィールズ賞を受けた。大正四~平成九年(一九一五‐九七

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20世紀日本人名事典 「小平邦彦」の解説

小平 邦彦
コダイラ クニヒコ

昭和・平成期の数学者 東京大学名誉教授。



生年
大正4(1915)年3月16日

没年
平成9(1997)年7月26日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝国大学数学科〔昭和13年〕卒,東京帝国大学理学部物理学科〔昭和16年〕卒

学位〔年〕
理学博士

主な受賞名〔年〕
フィールズ賞〔昭和29年〕「調和積分論」,文化勲章〔昭和32年〕,日本学士院賞〔昭和32年〕,藤原賞〔昭和50年〕「複素多様体の理論特に変形理論と複素解析曲面論の研究」,ウルフ基金賞〔昭和60年〕,勲一等瑞宝章〔昭和62年〕

経歴
東京文理科大学助教授を経て、昭和19年東京帝国大学助教授。24年渡米、プリンストン高級研究所所員となり、頭脳流出第一号といわれた。以後、プリンストン大学、ハーバード大学などで研究を行い、37年ジョンズ・ホプキンズ大学教授、40年スタンフォード大学教授を歴任し、多くの論文を発表。この間、29年数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞を日本人で初めて受賞、32年には文化勲章を受章した。42年帰国、東大理学部教授に就任。50年退官後、60年まで学習院大学教授。数学の業績は幅広く、とくに多様体論の発展に大きな役割を果たし、現代数学の育ての親の一人として国際的に高く評価される。帰国後は日本の数学教育についても積極的に発言した。論文集に「Kunihiko Kodaira:Collected Works」(岩波書店)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「小平邦彦」の意味・わかりやすい解説

小平邦彦 (こだいらくにひこ)
生没年:1915-97(大正4-平成9)

数学者。東京市に生まれる。父は農林次官の小平権一。1938年東京帝国大学数学科卒業。41年には同大物理学科も卒業する。東京文理大学助教授を経て44年から東京帝国大学物理学教室助教授。49年秋に渡米,プリンストン高等研究所員になる。ハーバード大学,プリンストン大学などで研究を行い,62年からジョンズ・ホプキンズ大学教授,さらにスタンフォード大学教授を歴任して67年に帰国し東京大学理学部数学教室教授。定年退官後学習院大学理学部教授になる。1954年フィールズ賞,57年日本学士院賞,同年文化勲章を受ける。数学上の業績は幅広く,現代数学,とくに多様体論の発展に大きな役割を果たした。おもなものは調和積分論(一般化されたポテンシャル論),固有関数展開定理,解析的層の理論(コホモロジー群の消滅定理),複素多様体論,複素構造の変形論,複素解析曲面の構造の理論。純粋数学の研究のかたわら,ピアノをよくし,また数学教育にも鋭い発言をした。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小平邦彦」の意味・わかりやすい解説

小平邦彦
こだいらくにひこ

[生]1915.3.16. 東京
[没]1997.7.26. 山梨,白根
数学者。東京大学数学科 (1938) ,同物理学科卒業 (41) 。東京大学助教授を経て,アメリカのプリンストン高級科学研究所へ招かれ (49) ,その後プリンストン大学教授に就任。 1960年からハーバード大学勤務,ジョンズ・ホプキンズ大学教授,スタンフォード大学教授を歴任し,その間,日本学士院会員に選ばれる。 67年に帰国し東京大学教授に就任,75年退官。おもな業績の一つは,代数多様体を解析的方法で取扱い,「小平の定理」を確立したことである。それはリーマン・ロッホ型定理を,多次元のコンパクト複素多様体の場合に拡張したもので,「ホッジ多様体は,適当な複素射影空間に,双正則にはめこむことができる」というものである。 54年度の世界数学者会議において,調和積分論への貢献により,数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞を日本人として初めて受賞。 57年に日本学士院賞および文化勲章を,87年に勲一等瑞宝章を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小平邦彦」の意味・わかりやすい解説

小平邦彦
こだいらくにひこ
(1915―1997)

数学者。東京生まれ。1938年(昭和13)東京帝国大学理学部数学科、1941年物理学科を卒業。東京文理大学助教授を経て、1944年東大物理学科助教授。1949年(昭和24)プリンストン高等研究所に招かれて渡米、プリンストンほか諸大学の教授を歴任、この間1952年東大教授。1954年「調和積分論の研究」でフィールズ賞、1957年学士院賞、文化勲章を受ける。1975年定年退官、1985年まで学習院大学教授を務めた。東京大学名誉教授。

[内田 謙]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小平邦彦」の解説

小平邦彦 こだいら-くにひこ

1915-1997 昭和後期-平成時代の数学者。
大正4年3月16日生まれ。昭和24年渡米し,29年「調和積分論の研究」で日本人最初のフィールズ賞。ハーバード大,スタンフォード大などの教授をつとめ,42年帰国して東大教授となる。50年学習院大教授。32年学士院賞,文化勲章。平成9年7月26日死去。82歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「ボクは算数しか出来なかった」など。
【格言など】コロンブスが新大陸を発見したように,まったく新しいものを発見したい(弟子たちへのことば)

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百科事典マイペディア 「小平邦彦」の意味・わかりやすい解説

小平邦彦【こだいらくにひこ】

数学者。東京都生れ。東大数学科卒業,1944年東大助教授。1949年渡米しプリンストン高等研究所員となり,1956年プリンストン大学教授,1962年ジョンズ・ホプキンズ大学教授。1967年帰国し東大教授にもどる。固有値問題,代数幾何学,群論など広範囲にわたる業績を上げ,1954年日本人として初めてフィールズ賞,1957年文化勲章。

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367日誕生日大事典 「小平邦彦」の解説

小平 邦彦 (こだいら くにひこ)

生年月日:1915年3月16日
昭和時代;平成時代の数学者。東京大学教授
1997年没

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