小此木 啓吾(読み)オコノギ ケイゴ

20世紀日本人名事典 「小此木 啓吾」の解説

小此木 啓吾
オコノギ ケイゴ

昭和・平成期の精神科医 慶応義塾大学客員教授。



生年
昭和5(1930)年1月31日

没年
平成15(2003)年9月21日

出生地
東京

学歴〔年〕
慶応義塾大学医学部精神医学科〔昭和29年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
日本精神分析学会学会賞(第1回)〔平成1年〕

経歴
昭和30年慶応義塾大学助手、講師、47年助教授を経て、平成2年教授。のち東京国際大学人間社会学部教授を兼任。日本精神分析学会会長、小寺記念精神分析研究財団理事長なども務めた。フロイトから現代までの精神分析学を幅広く研究する傍ら、新聞や雑誌で家庭論や現代社会論を展開。わが国では数少ない家族精神医学権威で、昭和53年どの党派・組織にも帰属感を持たない現代青年を“モラトリアム人間”であると規定した「モラトリアム人間の時代」を発表、一躍有名となる。その後も“ジゾイド人間”“燃えつき症候群”などの語を広めた。他の著書に「日本人の阿闍世コンプレックス」「家庭のない家族の時代」「自己愛人間」「一・五の時代」「父と母と子、その愛憎の精神分析」「愛の真実と偽りをどうみわけるか」、訳書にダン・カイリー「ピーターパンシンドローム」「ピーターパン予防法」など多数

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小此木 啓吾」の意味・わかりやすい解説

小此木啓吾
おこのぎけいご

[生]1930.1.31. 東京
[没]2003.9.21. 東京
精神科医。1954年慶應義塾大学医学部を卒業。1976年同大学助教授,1990年教授に就任。日本人で初めてウィーン精神分析研究所に留学し,日本の精神分析学の草分けといわれる古沢平作師事。精神分析医として治療にあたる一方で,ジグムント・フロイトから現代までの精神分析学を幅広く研究した。同時に,精神分析の日本への定着にも尽力,新聞,雑誌,書籍などで精神分析学を土台とした現代社会論を展開した。1977年には,豊かな社会に育ち,社会人としての当事者意識がなく,大人になりたがらない当時の若者を「モラトリアム人間」と規定した論文を雑誌『中央公論』に発表。翌 1978年に出版した『モラトリアム人間の時代』はベストセラーとなった。1986年に日本精神分析学会会長に就任。(→精神分析モラトリアム

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小此木 啓吾」の解説

小此木啓吾 おこのぎ-けいご

1930-2003 昭和後期-平成時代の精神医学者。
昭和5年1月31日生まれ。平成2年慶大教授となる。7年東京国際大教授。精神分析学や家族精神医学の研究などで知られ,「モラトリアム人間の時代」「日本人の阿闍世コンプレックス」「一・五の時代」などの著書や,「ピーターパンシンドローム」などの訳書がある。日本精神分析学会会長。平成15年9月21日死去。73歳。東京出身。慶大卒。

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367日誕生日大事典 「小此木 啓吾」の解説

小此木 啓吾 (おこのぎ けいご)

生年月日:1930年1月31日
昭和時代;平成時代の精神科医
2003年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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