田村 直臣(読み)タムラ ナオオミ

20世紀日本人名事典 「田村 直臣」の解説

田村 直臣
タムラ ナオオミ

明治〜昭和期の牧師



生年
安政5年8月9日(1858年)

没年
昭和9(1934)年1月7日

出生地
大阪・堂島天満

学歴〔年〕
東京一致神学校〔明治12年〕卒

経歴
与力の子に生れる。明治6年上京、築地大学校で宣教師カロザーズの教えを受け、受洗、東京第一長老教会を設立。銀座教会(のち数寄屋橋教会と改称)牧師となる。北村透谷や岸田劉生らに洗礼を授けた。13年植村正久らと東京青年会を設立「六合雑誌刊行に参加。15〜19年アメリカ・プリンストン神学校に留学、26年「The Japanese Bride(日本の花嫁)」をアメリカで出版し、日本女性の男性への隷属を記したのが国辱的として日本基督教会牧師を除籍されたが、大正15年復帰した。その後日曜学校発展に尽力し、日本日曜学校協会を設立し、会長に就任。日本の日曜学校事業の先駆者。8年から終生、日本基督教会巣鴨教会牧師を務めた。週刊子ども新聞「わらべ」の創刊や「幼年教育双書」100巻を発行。主著に「信仰五十年史」「二十世紀日曜学校」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「田村 直臣」の意味・わかりやすい解説

田村直臣 (たむらなおおみ)
生没年:1858-1934(安政5-昭和9)

牧師,宗教教育家。築地大学校に学び,アメリカの宣教師カロザースC.Carrothersにより受洗。1879年銀座教会牧師,82年渡米,プリンストン神学校で学ぶ。86年帰国し数寄屋橋教会(旧銀座教会,のち巣鴨教会)牧師となった。92年《日本の花嫁》を刊行したが批判を受け,同胞讒誣(ざんぶ)に問われて日本基督教会を離脱した。宗教教育とりわけ日曜学校の発展に努め,また日本伝道学校,自営館を設立,伝道者養成育英にあたった。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田村 直臣」の解説

田村直臣 たむら-なおおみ

1858-1934 明治-昭和時代前期の牧師。
安政5年8月9日生まれ。東京の築地大学校でまなぶ。明治12年東京一致神学校(現明治学院大)を卒業,銀座教会牧師となる。25年アメリカで出版した「日本の花嫁」が日本国内で問題となり,日本基督教会をはなれる。39年日本日曜学校協会を設立,会長となった。昭和9年1月7日死去。77歳。大坂出身。著作に「信仰五十年史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田村 直臣」の意味・わかりやすい解説

田村直臣
たむらなおおみ

[生]安政5(1858).大坂
[没]1935. 東京
牧師。築地大学校,東京一致神学校に学ぶ。数寄屋橋教会,巣鴨教会の牧師をつとめ,日曜学校を通しての幼少年の宗教教育の発展に貢献した。主著『二十世紀の日曜学校』 (1911) ,『児童中心のキリスト教』 (25) ,『宗教教育の手引』 (28) 。

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367日誕生日大事典 「田村 直臣」の解説

田村 直臣 (たむら なおおみ)

生年月日:1858年8月9日
明治時代-昭和時代のプロテスタント牧師
1934年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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